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組織すること

シトシトと雨の音がする。このような雨の音を聴いたのはしばらくぶりだ。空は明るくなっているのに、止むでもなく、染み出すように雨が、空から染み出ている。耳をすましたけれど、鳥の声もない蝶の羽音も聞こえない。しとしとと雨粒が落ちて、落ちる音はちゃんと聞こえてくる。
こんなふうにして、梅雨があけるのだろう。もう7月の半ばになっている。

昨日樫野先生の人間学の講座で、瞑想のプラクティスをした。目を閉じて、鳥になったように、景色を下に眺め、日本を超え、世界を超え、どんどんと進んでゆく。もはや鳥の速度を超えて、宇宙にさえもどんどんと進んで行く。粒子の風が宇宙の速さで流れている。その風に乗ってどんどん進んで行く。進んでも、進んでも終わりがないけれど、心は無になって行くのだ。
人間の根源を考えることができただろうか?

さて、そのような根本を教わりながらも、時々考えるのは、サクラモヒラのバングラデシュの村の女性たちのことだ。彼女たちは、教育の組織の中で学んだわけではないけれど、何年も働くことによって、もしかしたら、学校教育を受けた人よりも決定することができ、自立している。富裕層の女性たち、中流層の女性たちを知った今は、そうと断言できる。だが彼女たちは、富裕層の女性たちに、少なくとも表向きは、1歩譲る。
彼女たちに、次のプログラムとして、自分の組織を運営してもらいたい。その伝達はなかなか難しい。それをできないのが自分たちだ、と先入観が邪魔をする。でも、やればできるはずだよ。

宇宙の根源も考えるけれど、目の前の小さな現実も、また命の要素だ。
さて、さて…学んだ人は次の1歩を踏み出さねばならぬはずですけどね…

# by sakura_mohila | 2019-07-14 14:15 | Comments(0)  

樫野先生の人間学講座7月

第2土曜日の10時半からは、Gallery Sakura Mohilaのテーブルを囲んで、樫野先生による人間学講座の時間です。
いつものことながら、話は盛り上がり、終わりは12時を過ぎて、強制終了でした。
なにで盛り上がったか?今日は「偉人・聖人の生き方に学ぶ」の3回目、道元のことを学びました。彼は1200年から1253年まで、生きた人でしたが、彼の宇宙観が興味のまとだったのです。若くして大陸に渡り、その体験から、彼はすでに地球は丸いということを知覚し、生命あるものが宇宙の中にあって、地球で過ごす一時のことも感じ取っていたようです。
樫野先生のテキストによると、「天地同根、万物一体」。
魂は肉体を離れても死ぬことはない」だから「5歳で死んでも70歳で死んでも同じこと。その時、その時を大切に生きるべし」という、宇宙的な
見解を唱えたのです。

出席者は、このことに関しても、いろいろな見解や疑問をもち、テーブルを囲む言葉のやり取りが終わらなかったということです。

論語より、「鬼神を敬い、之を遠くにするは、知と言うべし」で締めました。

毎回、豊かな時間が流れています。
ご興味がおありの方は、サクラモヒラへご連絡をお願いします。
毎月第2土曜日、10時半からです。参加費は2000円。お茶付です。

# by sakura_mohila | 2019-07-13 14:40 | Comments(0)  

心の声

小山市のまちかど美術館の展示会は、電車の往復が恰好の読書の時間でした。
小山まで、佐野や宇都宮から来てくださった方たちもいて、交流も楽しかったです。

さて、電車の中で読んだ「致知」7月号の感想です。その中の一つに、認定NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会路地帳・高山良治氏と作家の神渡良平氏の対談がありました。高山さんの言葉は飾らなくて、心に響きました。彼はカンボジアの地雷撤去い始まり、すべてをその場所に生活する人のためにささげている人ですが、こんな表現をしています。
よく命が一番大事だっていわれるけれども、私は違うと思います。命よりも大事なもんがある。
それはやっぱり好きなことをやる、ということです。それが命よりも上だと思いますよ。もちろん命を軽々しく思っているわけじゃない。でも、命を落としてもやりたいことをやる。世間から見たら最悪のアホでしょうけどね」

虚飾も偽善も入らない表現。
このような言葉を言えるような生き方をしたいです。

# by sakura_mohila | 2019-07-08 10:21 | Comments(0)  

小山の最終日

今日は小山市のまちかど美術館の最終日を迎える。自分がせっせと小山まで通うことになるとは、夢にも思わなかった。けれど、その場所の人たちとの交流が増えるにつけ、また行きたい、と思う場所になった。

昨日の同館での「お話会」で、自分がかかわることになったバングラデシュの社会、村の女性たちの20数年間の変容を話たのだけれど、話ながらいろいろなことがらの発見もあった。参加してくださった方たちがもっとも興味をお持ちなのは、バングラデシュの社会のことだ。質問にお答えしようとするけれど、私たちの社会に流布する知識があるがために、こちらの言葉が発端となって、異なった受け取り方に変ってしまう。実際に経験したこともない社会のことなので、初めに入った知識が大きな割合で居座って、その後の声はなかなか入り込めない、という状況だろうか。

しかし現場を仕切る者には、あちらで起こっている変化に、ある時、はっと気が付くことがあるのだ。例えば、いつものようにサクラモヒラの村の女性たちと、仕事に関してやりとりをしていて、「自分で決定をできることが増えた」とか「対価の意識が進んでいる」とか「責任を持つ」ということがわかりはじめたとか、独立した人として当然の資質を持ち始めていることに気が付いていくのだ。
本人たちでさえ、気が付いていない。それは長年のやりとりの中で、身についていったものだ。

単純作業を繰り返して、給料をもらい、生活が向上した、という報告もよく聞くけれど、サクラモヒラはそのような大きな組織ではないし、自分にはそのような能力もないだろう。
ある時、ダッカ大学で環境を専門とする教授が彼の関係するアパレル工場に連れて行ってくださった。ダッカの郊外にあるその工場は、ピカピカにお掃除され、工場内に緑がデザインされて、排水も処理してから流されるので、中はどこにでもあるクリーンな生産環境であった。社長さんもそのことを誇らしげに話しておられた。バングラデシュもここまできたか、という気持ちで見学をした。お掃除の人が、いつもいつもモップを使って、綿埃をとりさっている。
製品のチェックをしている人と目があった。毎日、毎日、製品チェックをしていて、速く正確である、という経験を高く評価されているそうだ。

でも、目が笑ってないよ。サクラモヒラの村の女性たちは、体が笑っている。
最近、気が付いたことである。



# by sakura_mohila | 2019-07-07 09:53 | Comments(0)  

想うこと

はっきりしない天候だ。こんな天気の日を英語でどのように表現するのだろうか、と思いながら、大好きなマクミラン社の辞書を開いた。頭に浮かぶ単語を辞書で出しながら、その項目を読んでいくと、面白くなって、いくつかの単語の項目を読んだ。紙の辞書を読む時間は、小さな時間だけれど、満足感がある。数分のことなのに、目的がピンポイントでなく、いろいろなことが書いてあるから、ほんとに豊かな時間が持てるように思うのだ。辞書のぼろぼろ感や紙の重みも、なんとほっとすることだろう。それなのに、あまり辞書を開かないから、よほどのばかだ。

小山市のまちかど美術館でサクラモヒラの展示会開催中なので、小山市まで電車で行くのだけれど、車中の読書は楽しい。「致知」という雑誌の7月号に、元トヨタ自動車技監の林南八氏のインタビュー記事があった。終戦前と戦後の
途上の時代をトヨタで、鍛えられた方だけれど、その一つ、一つの体験談が大変興味深かった。貧しい時代を生きる人たちと、豊かな時代を生きる人たちの違いが覗えて、考えるヒントが宝のように光っている。

「致知」という雑誌に盛り込まれた記事も、恥ずかしながら知らない日本語がいっぱいあって、自分が日本語学習者レベル3とかになった気分になる。そんな時こそ、辞書を開けばいいのに…と、反省しつつ…タイヘンダ!今日は小山のまちかど美術館で、バングラデシュの社会とサクラモヒラの村の女性たちの変化、というタイトルでお話し会をすることになっている。準備をしなくては!!

という具合で、いつも日本語レベル2に昇格できるチャンスを逃している情けなさだ! 反省。

# by sakura_mohila | 2019-07-06 10:38 | Comments(0)  

さくらんぼ

さくらんぼの季節が恵みのように思われる。かわいらしい実を見ると、買いたくなって、ついつい買ってしまう。日本のさくらんぼもかわいらしいけれど、アメリカのさくらんぼはかわいらしくなく、かわいい。黒っぽいさくらんぼ色が食指をそそるのだ。

U-Tubeでさくらんぼの収穫のビデオを見て、驚いた。信じられないくらい、大雑把な収穫の現場をみることになった。ヨーロッパのさくらんぼ摘みの人たちを思っていた自分は、時代についていってない典型のように思われた。果実収穫トラクターのような車を一人で操り、機械の腕でゆさゆさと枝を揺すると、紅い小さなさくらんぼがどわどわと平たい鉄板になだれ込む。それを荷台に落として、プールのような場所で洗い、作業が終わる。その収穫機から零れ落ちた実は多数う。それをどうするのだろうか?
アメリカの大規模農業のスタイルを裏切らない、さくらんぼの収穫の動画であった。

興味がわいて、コーヒー、オリーブのような小さな果実の収穫の写真をインターネットに探してみたら、他の収穫の風景は昔ながらに馴染みのある収穫の風景が登載されていた。

機械化がなければ、収穫量も限定されることだろう。かくして綿の収穫も、織物も機械化されてきたのだろう。
今や、量産が当たり前になり、自然を害するほどに、ごみを出している。

自然と人間の生活のほどよいバランスはどこにあるのだろうか。意識して、そのバランスを探す時なのかもしれないね。


# by sakura_mohila | 2019-07-05 09:59 | Comments(0)  

雨に想うこと

九州の豪雨を思うと、言葉を失う。
自然が牙を剥いた時、その恐ろしさは、言葉を失うことであろう。


さいたまの雨の音は少しおさまった。まわりを見たら、建物ばかりが見え、その向こうに神社の杜が見えて、牙を剥く自然の様相は微塵もない。しかしそんな時も数百年の間にはあったそのに違いないし、また、その反対に守りを与えてくれたこともあるにちがいない。
自然は変えられない。でも自然と対話しながら、自然の一部である自分は変えられる。種から芽が出て、成長し花が咲き、種をつけて朽ち果てるという、植物と同じ自然の原則はかえられないままに。

街の生活をしていると、どろんこ道を忘れてしまう。日本にいると、生活の場所はほんとに整っている。
バングラデシュの雨季は、どろんこ道があちこちにできる。高級住宅街の道路にさえも、水たまりができて、そこに小さな魚さえ跳ねていたことがある。いったいこんなにわかの水たまりにどこから来た小魚なのだろう。

人々は、街を歩くのに、サンダルを履いている。さっと水で洗えば、泥んこ道もそれほど気にならないのかもしれない。と言うか、選びたくても、選べないではないか。
日本人はそのような一つ、一つが気になるけれど、現地の人たちはあたりまえのごとくに、やり過ごしている。村の家だって、風や土砂降りにはどうするのだろう、とついつい思ってしまうけれど、その場にすむ人たちは当たり前に日をすごし、笑って、翌日を迎えるのだ。

こんなことを書いていたら、雨の音がもっとひいて、空も明るくなった。さて、当たり前の顔をして、次のステップを踏み出そうか。

# by sakura_mohila | 2019-07-04 10:42 | Comments(0)  

小山のまちかど美術館

メロンを食べました。ちょうど食べごろでした。野菜や果物を季節に楽しむのはほんとに喜びであるように感じます。なるべく、野菜を栽培したい、と考えています。特に昨今、季節感がなくなり、それに慣れるのは少々、恐ろしい感じがしています。野菜の花を見たり、収穫を楽しんだり・・・してみたいことです。

明日から小山のまちかど美術館で、サクラモヒラの展示会が始まります。
小山では、綿を栽培している人、織る人などがきてくださって、そのことも楽しみのひとつです。
今日は搬入に行ってきます。

電車の窓から見る、田植えを終えた田んぼ、畑などを楽しみに、乗り越しには気を付けます。

# by sakura_mohila | 2019-07-01 10:33 | Comments(0)  

カンボジアのお話会

日曜日、久々に「音楽の泉」を時間に追われずに楽しんだ。皆川先生の「音楽の泉」、もう何年楽しみにしているのだろう。自分のライフスタイルがいくつか変わっているのに、日曜日の8時の皆川先生の音楽の泉は色あせることなく、日曜日の朝の憩いだ。
今朝はイギリスの民謡特集だったけれど、どれも自分の人生のどこかで馴染んだメロディーばかりで、昔を思い出したり、関わった人たちの言葉を思い出したりして、ゆっくりとした時間を楽しんだ。スコットランドやグラスゴーにまたいきたい。ウィンダミア湖のほとりの朝を歩きたい。
と、思いつつも、時間の不都合も、それはそれなりに自分の思い出を構築していることだろう。10年したら、バラ色の思い出に変っているにちがいない。今の生活は忙しく、考えることも多く、ストレスも多いけれど、自分の生ぬるい過去のどの時点よりも満足感がある。仮に働きすぎで命を縮めても100%の本心で「感謝します」と言って、次の旅に出ることができそうにさえ思えるくらいだ。それは、神様にすべてをお任せします。

ところで、サクラモヒラの「途上国からの素敵なものマーケット」に2度参加してくださった「幼き難民を考える会」の関口晴美さんが、6月の最終土曜日、お話会のトークを引き受けてくださった。他の用があって、途中で席を立たざるを得なかったのは残念なことながら、常に関口さんの誠実さを実感していたので、引き受けてくださったことに感謝。

サクラモヒラは大宮東口から数分の距離にある、歴史のある押田謙文堂書店の3Fにギャラリーを5月からお借りしたのだけれど、新しい方向をさぐっている。「良きものが生まれる場所」にできますように、というのが、スタッフ一同の祈りである。手さぐりは続いて、終わることがないであろうけれど。

# by sakura_mohila | 2019-06-30 10:04 | Comments(0)  

夏の暑さ

日差しがあると、暑い、暑い…窓辺に置いたポトスのガラス瓶の中で、水が暖められて、お湯のようになっている。今日花瓶にさしたアジサイは、日の当たらない涼しい場所に置いた。

バングラデシュの村にサクラモヒラおの女性たちを10人かかえるが、彼女たちはめったなことでは「暑い」とは言わない。気候はえらべないから、そうなのかもしれないし、私が暑いとおもうほど彼女たちは実感していないのかもしれない。
ダッカのサクラモヒラのオフィスは、街中であるが10階にあり、床は大理石、壁は漆喰だから、結構涼しい。
エアコンディショナーは使わないけれど、窓はあまり開けてないので、天井に取り付けた扇風機はよく動いている。しかし村の住環境はそれさえも保障されていない。
村の普通の家はトタンの造りで、簡易住居のような蓄財である。しかし庭は広く、果樹が育ち、農作業もするスペースがある。

彼女たちは、出かけるときには、普通の服の上にブルカを着る。彼女たちの場合、顔をすべて覆い目だけ網の後ろにあるというようなタイプではないが。長いレインコートのようにブルカを着て、神をスカーフで覆ってくる。これもおしゃれのポイントで、流行のスタイルでヒジャブを巻くから、お出かけ前の時間がかかることこの上ない。アパートの下の階にはコピーをしてくれるショップがあって、急いでいるからと彼女たちに頼みたいと思うが、言うことをゆっくりと聞いて、仕事の区切りをつけて、それから身支度のブルカを着るから、その間に用事を忘れてしまうくらいである。仕方がないから、彼女たちが食事にでかけるついでに頼むかれど、それさえも、さっとでかけたためしがない。身支度にかける時間は計り知れない。
しかし「暑い」とは言わないのだ。

人のこのような習慣をどうこう言うことは慎むべきかもしれない。だが彼女たちは稼ぎたいのだ。時間を効率よく使い
働く女性のスタイルを確立するという、小さな改革は必要だと思わざるをえない時がある。


# by sakura_mohila | 2019-06-27 10:41 | Comments(0)