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夜明けの時間

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朝の仕事場から、白んで来る街を見るのが大好きです。喜びの一人の時間。食事作りや家事の雑事に追われることがない時間は, 日本での忙しい時があるから、ほんとに楽しく感じます。
ダッカでも、昨日あたりから冬が終わり始めた様子です。昨日街に出たら、早春を告げるオレンジ色の花が空に初めの一筆を描いていました。春先に来る鳥、せきれいのような白と黒の鳥が歌う美声も時々きこえてきました。
サクラモヒラの村の女性たちが帰ると、ほっと一息。自分の時間が持てるのです。
しかし、こちらでもいろいろなことが変わり始めています。同じことが続くような気がして、数か月毎にダッカのこの仕事場にくるのですが、実は社会の流れの中で同じことが続くことはないのだ、と実感します。
社会の変化にどのように対処したらいいのか…自分はもう人任せではいられない責任を負っています。できてもできなくても…
ナラヤンプール村でオープンしたSakura Shopは、まずは順調に滑り出しているようです。カジョルレカさんが、"I am happy" と何度も言っていました。
その傍らで、メンバーの中には、不幸に愛された女性もいて、彼女は村で写した写真の中で、活気のない顔をしていました。
移り変わりは必ずあるものと意識して、対処を常に考えていなければならないのだ、と、新たに思いました。
仕事先にしても、自分の仕事を頼むためには、その仕事先が栄えていなければ不可能だから、少し背伸びして発注もするし、その他の協力もできる限りしてきます。
棚や引き出しにたまった使わない物を整理していたら、風呂敷包の中に一枚のジャケットがでてきました。
すでに故人となった妹は、舞台衣装を作っていました。当初は彼女のデザイン、パターンをバングラデシュで指導してもらっていました。彼女がその製作を計画して、試作してあった一枚です。「このような服を作りたかったんだろうな」という空気があって、その服を厚手のカディで、パンツとともに作ることにして、昨夜テイラーに預けました。シンプルですが、着やすいジャケットです。
経営する人は、従業員のためにお金を作る…簡単な言葉だけれど、難しく、ハードルの高い仕事です。
私は、このような簡単なことがわかっていなかったし、できてもいなかったのです。仕事場の古いものを整理するにつけ、心が痛みます。
でも、そんなことを繰り返してきたのだから、もう少し先に進んで、皆の労をねぎらいたい気持ちになっています。


# by sakura_mohila | 2024-02-11 11:18 | Comments(0)  

Dhakaの研修が終わりました

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今日は村の女性たちのダッカ研修最終日です。昨夜は、製品の支払いも受け取って、ほっとした表情にみえます。このようなダッカの研修は、もう12年間続いています。年間3回ありますから、彼女たちは36回くらい、このようにしてダッカに通ってきたのです。初めは、おずおずとした都会の生活でしたが、今は堂々としています。
買い物も、レストランでの食事も、混沌とした交通の通りを渡る時も…
2022年10月に、Sakura Shopをオープンさせていらい、彼女たちには、特にリーダーを務めるカジョルレカさんには大きな変化が起きています。
「人に払うお金を稼ぎ出さねばならない」
自分も同じ立場にあるんで、その大変さがよくわかります。
しかし、インターネットの時代にあって、「これができない」「あれができない」としり込みするかわりに、「これができる」「あれができる」の人であってほしいと思います。
今回は、彼女を中心とする組織を作り、その他の人たちは彼女の指示にしたがうように、と強く言いました。
ひとたびお金が絡むと、われもわれもと口を開き、ハチの巣をつついた以上の混乱になるからです。創業の時には、ばしっと決める人が絶対に必要なのだ、と目の前に展開している混沌を見て、思います。初めは、すでにオニババ慣れした私が、模範を示しました。その場では彼女たちは黙ったけれど、自分たちの部屋に戻ってまたお金の話をしていたので、また”オニババって”しまいました。これが私の宿命だったのかもしれない…ちょっとやるせないけれど…
しかし、少しずつ彼女たちに任せながら、消えて行こうと思っています。
ともあれ、この先、どのような展開になるか、見守りたいです。
さて、次はダッカでこなさなければならない仕事に取りかかります。あっても、あっても足りない時間だけれど、精一杯の仕事をして帰りますね。
お土産話を楽しみにしてください。






# by sakura_mohila | 2024-02-09 19:35 | Comments(0)  

Sakura Mohilaの女性たち

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昨日から、サクラモヒラの村の女性たちがダッカに来ています。こちらのオーダーを取るためと、いくらかのトレイニングのためです。いつものメンバーファテマさんは、2月22日に出産で、来ることができません。かわりに彼女の助手さんがやってきました。
このようにダッカに来てもらうようになって12年になりますが、こちらも経験を重ね、彼女たちも経験を重ねました。
2022年の10月にナラヤンプール村にSakura Shopを開店していらい、どのような展開になるかと案じていましたが、Sakura Shopの運営は順調に運んでいるようです。
彼女たちはオープンにあたり、Sakura Mohila, Japanからお金を借りて、3年払いのローンを設定したのですが、催促もしないのに、耳を揃えて返しました。
とにかくお金が回り始めていることに、ほっとしています。それと同時に、胸をはって、この事実を報告したいと思います。
村にパートさんとして雇用している女性たちは5人に定着しました。村のことゆえ、家庭の事情が支配して結構入れ替わりが頻繁のようですが、常にその5人は核のメンバーになっているようです。
オーダーしてあったクラフトの手が違い、すぐに分かります。
さて、ゆとりの時間が流れる、今日、デザインについて少し勉強しました。
ナラヤンプール村のサクラモヒラの女性たちが、世界に出ていくのはいつのことでしょうか?


# by sakura_mohila | 2024-02-08 18:20 | Comments(0)  

社会の変化

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昨日ダッカに到着しました。いつもは、途中のアジアの国で乗り換えてきますが、昨年の9月にオープンしたビーマンバングラデシュ国営航空に乗り、直行で7時間で着きました。長い旅に感じたけれど…
20年くらい前、初めのビーマンが通っていたころ、バンコクまでの客を下ろし、その先ダッカまでは数人という状況でした。座席を初めその他もろもろのすべてに夢がなく、「復活しないように」と祈るばかりでした。
覚悟を決めて乗り込んだのですが、現状は、とてもよいです。乗務員の人たちもまっとうな対応でした。目があった乗務員の女性が、にこにこして「アリガト」と言いました。何をしてお礼を言われたのかわかりませんでしたが、トイレのドアを丁寧に閉めて、次の人に送っただけのことでした。そうです、文化度(?)がとてもたかくなったのではないでしょうか?他の乗務員さんたちも、ふるまいがていねいで、またこれで来たいと簡単に思っています。
社会の状況は、こんなささいな側面にも表れるのだと実感しました。
確定申告の準備をしながら過去の記録を見ていたら、ダッカのアパートの家賃を12回支払っていました。よくできたものだなあ、と我ながら感じることが深かったです。
コロナのパニックの後は、ダッカの社会も変化したように思います。コロナ如何にかかわらず、インターネットが変えてしまった側面も大きいです。今や、村の女性たちともインターネット通話で話をしたところです。
彼女たちは明日、ダッカに出てきますが、果たしてどのような成長をみることでしょうか?


# by sakura_mohila | 2024-02-06 13:32 | Comments(0)  

2月の計画

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散歩の途中の竹林をみやったら、冬の白い幹の色をしていた。気がつかない内に、青々とした幹の色に変わるのだろう。それにしても、白い幹の色も冬の空によく似合う色だ。
こんなふうにして、春が始まっているのだろう。今朝はたなびく雲の背後をまもるように曙の色が漂っていた。暗い6時はそろそろさようなら、の時となったようだ。
さて、明日からは、「With You さいたま フェスティバル」に参加します。4FにSakura Mohilaとして出店しています。
主には、カディの白い布、植物で染めたカディ、ブロックプリントをしたカディが並びます。コロナ明け、久々の出店なので、ディスカウント価格で、景気よく(?)春を迎えたいと思います。
3日、4日と詰めていますので、是非おでかけください。
5日は、5時50分に成田行の空港バスに乗ります。少し早めに着きますが、バスは以前のように選べません。本数が少ないのですね。
飛行機も選べません。選ぶとしたら、朝出発の便は決して選ばない!しかしながら、2023年の9月に直行便がオープンし、乗り換えなしで行けるようになりました。
以前、ビーマンバングラデシュの飛行機便があったころ、何年もその飛行機で通ったものですが、一度雲の上に顔をだしている富士山を通過していったことがありました。機内にもアナウンスが流れました。その後、またあの富士山の顔が見えるかな、と気をつけているけれど、ついに見ることがなく、ビーマンバングラデシュの運行は終わってしまいました。
あれから何年が過ぎたのだろうか。マレイシア、香港、バンコック、シンガポールなどを経由してダッカに通ったのですが、それはそれで楽しい旅でした。それぞれの時間空港で、ヨーロッパ支配の影響がカフェなどに残っていて、カフェで過ごす時間も楽しみでした。
でも、この状況さえも、変わってしまった。やはり30年というのは、社会が変化する単位なのかもしれない。
さて、新しいビーマンバングラデシュは、どんなものでしょうか?
30年の間には、自分も30歳の齢を重ねました。そして、特筆すべきは、バングラデシュはもはや、「世界の最貧国」ではなく、むしろ、若い労働力にあふれた、あけぼのの国になったのです。
サクラモヒラがそこでできることは何だろうか?と考えているところです。
待ち遠しい春、明るくて、土が香り、木の芽の匂いがする風の春。サクラモヒラも新しいスタートを切りたいと思います。
2024年も、いろいろな企画をしますから、是非、おでかけください。



# by sakura_mohila | 2024-02-01 14:56 | Comments(0)