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社会と成長

帰国を待つように、大きな問題が次々と起こったけれど、なんとか落ち着くところに落ち着いて、少しずつ前の生活の中に入り始めた。
朝5時前のことだけれど、我が家の窓から日が昇るのが彼方に見える。朝日なので、希望を放つ光ではあるけれど、刻々と変化する光は、毎朝見ても、あきることがない。近くのお寺さんに散歩したら、お寺さんの人に銀杏の実をいただいた。
最近の習慣ではあるが、このお寺さんと蓮の花、仏像が、自分を和ませる。仏像は何体かあるけれど、それぞれのお顔がユニークで、いろいろな想像が駆け巡り、ほんとに好きな場所になった。
朝早い時間なので、だいたいいらしている方たちも同じ人で、顔馴染みになった。しかしご利益の話題はでても、お顔が云々の話題はでないので、この話題は自分との対話の話題としておこう。
蓮の花が終わり、何か淋しくなったお寺さんのお庭ではあるけれど。
ダッカから帰国する日は、いつも国際荷物を送り出す。中央郵便局から送り出すのだが、この建物はすばらしい建築である。その昔、フランスが作った建物らしく、インドに住まうヨーロッパ人が住みそうな建物である。天井も高く、ほんとにいつも200年前に戻ったように思うのだ

# by sakura_mohila | 2019-09-26 11:35 | Comments(0)  

帰国しました

9月18日、ダッカから帰国しました。
いろいろなことがあり、ブログのアクセスが今頃になってしまいました。
帰国を待っていたかのように、訪ねてくださった方があり、嬉しくも、恐縮しています。
ダッカから持ち帰った村のグッズ、準備が整いました。サクラモヒラの村の女性たちの成長、なんだかんだは常にあっても、嬉しいです。

日本のスタッフが小さな製品ですが、簡単だけれど制作に時間がかかるので、村の女性たちに作ってもらうようにした、という決定をくだしました。私は軽く、引き受けていました。
いざ、カジョルレカさんにその製品を作ってもらおうとしたら、いとも簡単にサンプルを作って、「これでいいか」とチェックを求めてきました。もちろん、それでいいです。
彼女たちが買えるときになりました。注文を受けた材料の大きなかばんを持って、大変な重さの荷物です。さらに一人は赤ん坊を連れてくるので、赤ん坊以外の人たちは持ちきれない荷物の量です。バスで村に着いた時には、ご主人たちが停車場まで迎えに来てくれているでしょう。しかし、ダッカの街を彼女たちはあの荷物を抱えて、リクシャ、CNGと乗りついで、バスの停車場に向かうのです。もちろん赤ちゃんもいっしょに。
大きな荷物を持っているので、乗り物も限定されます。

宅配便もないし、仮にあったとしても、彼女たちはお金をかけません。

なぜ、簡単に村の女性にやってもらおう、と言うのだろうと疑問になりました。

初期のころは、彼女たちができることはほんとに少なく、どんな仕事でもあれば、引き受け、その仕事がもたらしてくれる収入を喜びました。
今や、日本のスタッフと同等の力を持つ彼女たち。考え方を返る時がきているのではないだろうか。
生産性のないのはむしろ日本側であるかもしれないのです。
サクラモヒラの村の女性たちに恥じないように、効率よく、確かな仕事を心がけたい、と思いました。

明日から少しずつ、サクラモヒラのダッカの側のことを書こうと思います。


# by sakura_mohila | 2019-09-23 15:57 | Comments(0)  

明日からダッカです

台風が去った。夜中の風も音をとても不気味に思いながら、通過することをじっと待っていた。
やがては、過ぎ去るんだね。今は青空が広がっている。
昨日はちょっと凹みの現実があり、とても凹んでいた。でも、やがて青空が来るんだ、と思うことにした。どんな時でもまずは、やがて青空が来るんだ、と言い聞かせることにしよう。
太陽に輝く青空はとてもきれいだ!

今日の夜、ダッカに発ちます。そうなると、思い出すのはいつもサクラモヒラの村の女性たち。皆も、いろいろな心情を通り越しながら、いつかは青空がくるんだ、と思う日もあるのだろう。
特に、お金がからむと、その関係は複雑だ。相手は労なくたくさんのお金がほしい、こちらは労はあたりまえ。しかし労があったとはいえ、仕事の質が悪ければ、たくさんのお金はだしたくない。この関係は、今やとてもむずかしい。以前は村の女性たちの仕事は情で買わなければ、お金がからまなかった。今や彼女たちの仕事は、向上し、本人たちもプライドを持つようにそだったから、その値段の交渉は迫力に満ち満ちている。手仕事だから当然時間はかかるが、村の女性たちは、地元の値段を越えてお金がほしいのだ。
情で買い取った、バブルの味を忘れさせるのはほんとにむずかしいことだ。しかしなんだかんだと言いながら、待っていてくれるから、そのなんだかんだ、の感覚は彼女たちと事なかれ主義の日本人の間には温度差があるかもしれない。
しかしこちらだって、今やありあまるお金ではないから、必死で、現地価格におろそうとする。大変だ労力だとは分かっていても・・・
日本だって同じこととかもしれない。休みもたくさんあって、仕事の時間は短く、労力は少なく、そのわりに賃金が補償されていれば、あとはその傾向を続ければいいだけではないか。
しかし、中小企業ではその理想は、絵に描いたもちだ。皆、苦労しておられることだろう。
そのなかで、残っていくことはなんだろうか?
以前は、質のことばかり考えていた。今は賃金の価値をとても考えるようになった。
18日に帰国します。
スタッフがいますので、Gallery Sakura Mohilaは平常と同じ運営です。
ご愛顧、ありがとうございます。

# by sakura_mohila | 2019-09-09 13:50 | Comments(0)  

日曜日の朝

「音楽の泉」という音楽番組が、日曜日の朝8時からあるけれど、その番組が70年を過ぎたそうだ。皆川先生もすでに30年を超す年月を担当されたそうだ。
その昔、大学時代に皆川先生の宗教音楽に関してのお講義を受けたことを思い出した。どうでもよいことだけはきちんと覚えているけれど、肝心なことはきれいに忘れてしまうのは、子どものころも、大学時代も今もなにも変わっていないようだ。ま、いいか。頭がパンクしないように自然に機能するからにちがいない。しかし、その時間に家にいることができる日曜日は、「音楽の泉」にチューニングすることを忘れない。そして日曜日の8時に予定を持ってくる人がゲジゲジゲンゴロウのように見えてしまい、相手の顔なども忘れない。

7日の土曜日は、母校の卒業生のための日で、バザーがあった。そのバザーに参加しながら、懐かしい人たちと挨拶ができてほんとにうれしかった。サクラモヒラのようなチャリティ系のことをしていると、学校ぐるみで応援してくれるような土壌があり、卒業してから、この大学がほんとに好きになっている。校舎も、ロッカーも、大学時代に使っていたままに手入れされていて、あちこちがほんとに懐かしい。時々行きたくなる場所である。だから、こうして年に一回、卒業生たちが集まってくるのも、心からよくわかる。

たまたま読んだ偶然がおもしろかったので、そのことをかくことにしよう。"Les Catacombes de Paris"は今や納骨堂ミュージアムだが、2回書いたと思うが、この納骨場所は18世紀、パリの人口増加に起因する。人口増加で、パリの墓場は満員となり、ごみやその他の衛生状態も過度に悪く、石を掘り出して空洞化していた場所に骨を集めたのだ。空洞化して、危険になった場所に柱を建設したり、壁にしたり、とすべてを頭蓋骨や頚骨を使って美的に建設してある。水道を通したり、「葬送行進曲」や「死の舞踏」などの曲が演奏されたのだという。究極の骨利用の場かもしれない。
そんなことを忘れられずにいた時、目に入った情報。宇都宮市にある「大谷資料館」は地下採石ミュージアムだそうだ。大谷石は加工しやすいことから採石が進み、巨大な空洞ができている。しかし、そこは日本的だ。荘厳な空間となっており、結婚式やコンサートや美術展として人気があるのだそうだ。

私たちは自然を利用しながら生活しているのだけれど、そのことをわすれずにバランスをきちんと保たないと、いつかしっぺ返しがくるのだろうな



# by sakura_mohila | 2019-09-08 12:05 | Comments(0)  

山田の案山子

木曜日は、鴻巣市にある香文木という手打ちうどん/そばのレストランが経営しているお稽古ハウスに出張教授。お世話になり始めて、もう何年が経過しただろうか?
オーナーのご夫婦のお人柄に甘えて、楽しい時間を過ごさせていただいている。
その場所は駅から離れた場所で、たんぼ道を通って行くのだが、途中の稲が」色付く様や、白鷺が食べ物を求めて群れ飛ぶ様、雉のカップルの散歩などは初め、さまざまな植物、小動物たちの世界が展開している。
突然、田んぼの稲を見ていたとき「山田の中の一本足の案山子♪・・・」の歌が頭に浮かんできた。間違っておもいだしたのだけれど、思い出した歌詞は次のようだ。「山田の中の一本足の案山子。天気のよいのに、雨傘さして、朝から晩までただ立ち通し・・・ないのか山田の案山子」・・・の部分はなんだっただろうか?
くたびれないのか、山田の案山子
淋しくないのか、山田の案山子
たいくつしないか、山田の案山子
しかし、どれも違うようだ。気になるので、数日してインターネットで調べたら、「天気がよいのに、蓑笠つけて」歩けないのか、山田の案山子」でした。
蓑笠という言葉も知ってはいたけれど、すっかりと頭から抜けていた言葉だった。
しかし、田んぼを見回して、鷺はいるけれど、案山子あどこにも見えないよ!

# by sakura_mohila | 2019-09-06 16:20 | Comments(0)  

また、また村の話

つるむらさきが蕾をつけていたので、花の部分を水に挿したら、花は地味に咲き、つるが結構たくましく延びている。健康によいと言われる植物はほんとに強いんだ!プランターに育てた西洋バジルも花盛り。水の中で白いひげのような根を一杯にのばしている。
ギャラリーで、伝統的なノクシカンタをテーブルに飾ってあったが、昨夕、サクラモヒラのオリジナルのカンタにしたら、それはそれで、可愛らしくて、スタッフが思わず歓声をあげた。
カジョルレカさんの花のクロスを見ていると、彼女が接している自然の生活が思われる。村は自然がいっぱいあって、彼女たちの生活も自然の中にあるのだ。
その分、機械のペースに支配されることがあまりないから、彼女たちは人間の生活のペースで動くけれど、機械化の効率よさの中では動いていない。機械化はまだあこがれの近代生活にすぎないのだ。スマホは持っているけれど・・・
昨日書いた話の続きになるけれど、メッセンジャーを受け取ったカジョルレカさんは、受け取ってほっとして、そのほっとしたことも私と共有できているにちがいない、と思い込んでいる。
急ぐ用事だったので、大家さんに電話して尋ねたら、「ヒラマはいつダッカにくるのか」という電話ばかりがあるらしい。

しかし、このようなトンチンカンがあってもいいように思うのだ。人間の社会はいろいろな人たちや物事で成立しているから、自分がそのことに気がついて、はっとすることが結構あるのだ。
加齢とともに、自分が若いときに持っていた能力の衰えばかりが気になるけれど、その衰えがあるからこそ、身につけた能力も同じくらい大きい。
そのことに気がつくことも、幸せなことに思われる。そう言えば、「老人力」ということを言った人がいたなあ!

# by sakura_mohila | 2019-09-05 11:28 | Comments(0)  

ギャップ

ほんとに涼しくて、まだ9月が始まったばかりとは信じがたい。だがひとたび始まった新しい月はすぐに過去となり、また新しい月が始まる…というマンネリの感覚なのだが、それにしても、あと数か月で2019年が終わるのだ!
と言うことを考えるとき、やり残している仕事がどっと頭に浮かんでくるけれど、これさえも、もはやマンネリの日常と同じように、毎年のマンネリだ。
熱中症で頭が痛くなった時に、ごろごろしながらページをめくり始めた「18世紀 パリの明暗」(本荘靖久著)、おもしろくて、ついつい読み進んでしまう。昨日は、病院に行ったら、とてもこんでいて、ほぼ読み終えてしまった。なんと3時間も待っていたのだ!
こんなぜいたくな時間の使い方ってあるだろうか。病院の待合室でもないかぎり、次から次としなければならないことがあり、本さえも開かないではないか!
それにしても、読めば読むほどに18世紀のパリは不潔で汚かったのだ。セーヌ川の水はすべてであったらしいけれど、それゆえに、信じられない不衛生と不潔さと、悪臭だ。
それって、現在のバングラデシュのショナルガオン?ということは200年のギャップがあるのだろうか?

サクラモヒラの村の女性に、大切なメッセージを送った。もちろん、答えがない。これは大きなギャップである。こちらは仕事をすすめたいのに、彼女たちはメッセージを受け取り、返事をすることをしないのだ。
彼女たちのもっぱらの関心事は、家族のこと、親戚のことに終始し、それ以上に想像を働かせることをしないことである。仕方がないけれど…と、このようなことも、少しずつの進歩はあるかもしれないけれど、ほぼマンネリだ。

# by sakura_mohila | 2019-09-04 15:26 | Comments(0)  

9月によせて

ついに9月になりました。ミンミン蝉やツクツクボウシが鳴いて、季節が移っています。
毎月第一日曜日の朝は、通りの清掃会で、30分ほど通りの人たちと清掃や草取りをしますが、楽しみにしている行事です。
それにしても、草が茂ったところに捨ててあるゴミには信じられない!
と、皆、言いつつも、楽しく参加しています。その地域のコミュニュケイションが楽しいです。

畑をつくっている人たちから、なす、苦瓜、オクラ、トマトなどのお野菜を頂戴しました。茄子の皮がはちきれんばかりに張りが合って、つやつやと輝き、包丁を入れたら、ぱりっとわれました。
オクラは生でも食べられると言ってくださったので、初めてそうしてみましたら、ほんとにおいしかったです。オクラを食べるときにはいつも、アフリカからハントされてアメリカに奴隷として運ばれる人が、なんとか生き延びようとして、オクラの種を耳の穴に隠して持ち込んだ、という実話を思います。
来年はオクラの苗を育てるぞ!!!とか、また、カラ決心をしたりして・・・問題は植える時期をいつも逃していることです。
室内においてあるコーヒーの木にいっぱい新しい芽がでていました。


# by sakura_mohila | 2019-09-01 16:54 | Comments(0)  

日本の暮らし

近頃の習慣は近所のお寺さんに蓮の花を見に行くこと。
今朝、6時半に雨の中を行ったら、すでに白い蓮の花が開いている。少し前までは蕾もにょきにょき出ていたのに、蕾が見当たらないところをみると、そろそろ蓮の花の季節が終わろうとしているのかもしれない。
それにしても、大輪の白い蓮の花が雨に打たれて咲く様は、ほんとにうっとりとさせるにあまりある。時間が許せば明日も来るぞ!
しかし、このお寺さんが好きなわけは他にもある。朝、早くなので、お会いする人たちは限りあるにしても、とても感じがよい。この人たちと挨拶を交わすことも楽しみの一つであるし、場所がとてもアート意識が強く、そのことも心が浮き立つ理由である。
いつものように、流し、流しのラジオから聞こえてきた話だが、心あたりがあって、耳を傾けてしまった。ある女性で海外のあちこちで生活しておられる女性が、日本の社会はきちんとしているけれど慣用性がない、という意味のことを言っている。「人に迷惑をかけない」という心がけは、日本こそすばらしいと思うけれど、そのことが除外の人に対してきびしい状況を作っている、という主張であった。
自分はだらしのない性格で、日本のそのような素晴らしさについて行けない一人であるが、それゆえに心に残った意見であった。
だらしがないのはいいとは思わないけれど、「人に迷惑をかける」というのも、事と次第によるのではないだろうか。あまり小さなことを気にして、「迷惑」「迷惑」と言われると、自分のような気の小さい人間は芯から萎縮してしまうのだ。
それにしても、蓮の花はほんとにきれいだなあ!

# by sakura_mohila | 2019-08-30 11:26 | Comments(0)  

ルイ14世の話

庭の草取りをしていたら、いろいろな記憶が走り去った。草取りも、いいかもしれない。少し日差しも緩やかで涼しかったから、苦にはならなかったが、突然、ひどい頭痛に見舞われた。キケン!熱中症かもしれない。あわてて家に入り、対処した。ごろごろと寝転がりたい気分だったので、手当たり次第に本を撮って、ぱらぱらとめくってみた。本箱の中で、題名だけは覚えていて、内容はすっかり忘れてしまっていたが、ついつぃページをめくって、頭痛も知らぬ間に消えていった。
「18世紀のパリの明暗」(新潮選書・本城靖久著)
おもしろい話はいろいろあったけれど、まずはルイ14世の胃袋の話。彼は(親しそうに呼ぶけれど、友だちであったわけでもなんでもない、郡を抜いた大食漢であったらしく、亡くなった時に彼の胃袋や腸を見た人はほんとに驚いたのだという。
フランスに食卓のマナーが入るのは、ルイ15世のころからで、彼のころになると食卓のマナーが整い、社交としてのお食事が始まったのだという。
ルイ14世は、バレエを踊ることで名を馳せていたので、てっきりその筋に属する人かと思っていたが、イメージは大きくはずれてしまった。
当時、「フランスが教え、ヨーロッパが学ぶ」という構図があり、王様の食卓はパブリックにオープンで、王侯貴族たちはヴェルサイユの、皆が見える場所で食事もなにもかもしたらしい。一人になると、王様でもほっとしたのだそうだ。
しかし、ページをめくるにつれて、フランス革命が導かれた理由がわかってくる。
歴史としてみると、そのような解釈もしてしまうが、歴史の主人公であった人たちは、そのようなゆとりもなく、自分の運命を生きたのだろう。
本城さんの本は、「グランドツアー」も読んだが、忘れたことが95%としても、いくつかのことは覚えている。あの本はもう処分してしまったのだろうか?

# by sakura_mohila | 2019-08-28 11:19 | Comments(0)