昨年は剪定によりほとんど実をつけなかった柿の木が2本。今年は豊作で、毎朝柿の収穫をしながら、猿蟹合戦の猿になった気分を味わっている。いったい何個実をつけたのだろう。青い小さな実がいくつも、いくつも転がっていたから、それらの実を加算すると、面倒もなにもみないこの柿の実がよくも健気にこれほどの実をつけたものだと、感心するのみである。大地の力の大きさを考えなくても、見せられる。ふと気がついて、小さな庭を見たら、小鳥が運んだ木や、庭にある木に混じり草花が伸びている。ゆずも色づき始めている。金柑の実も育っていた。どうりで庭がなんとなく暗く、狭く感じるわけだ。園芸の技術も知識もなにもないまま、チョキン、チョキンをしたけれど、あとは植木屋さん頼みにすることにしよう。
私がこの世の生を終えたら、これらの木々は他の開発地のように根こそぎ掘られて生を終え、また新しい人が好みの木を植えることになるのだろうか。それともなにも植えられないまま、ただ建物が造られるのかもしれない。屋敷を相続して、代から代へと繋いでゆく時代は終わったのだ。
けれども命のあるものを受け継いでゆくのは、生き物としてふつうのことだから、それほど悲観したものでもないかもしれない。今は、こうして土にふれる喜びを感謝するのみだ。
今はもうこの世に存在しない父だが、この世で生きていた時には山登りが好きだった。自分のことを「山猿」とよく言っていたけれど、今はその「山猿」のほんとの意味が分かるように思われる。

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# by sakura_mohila | 2018-10-29 12:07 | Comments(0)  

時の流れ

生活が慌しくて、留守の間に台風にやられていたミモザの枝を片付けきらずにいて、今朝、のこぎりを持って庭に出たら、ミモザの枝を重ねていた近くで、つわぶきが黄色く蕾を見せていた。忙しぶって、こんな狭い庭のできごとにさえ目が届かなかったことを反省。家主に目さえかけてもらえないのに、きちんと花をつけるつわぶきを思わずほめてやりたくなった。植物はほんとに健気だ。たったこれだけの、ふつうのことだけれど、それでも力を与えてくれることがある。人間の生活って、それくらい自然に反していることがあるのではなかろうか。
90歳まで生きて、親戚の女性が旅発ったという電話が入った。自然のことだけれど、近頃は自分の死と関連して捉えることが多くなった。誰も自然には逆らえないのだから。
必ずやってくる死。でもその時までは、生きていることをほんとに楽しみたいものだ。

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# by sakura_mohila | 2018-10-25 18:47 | Comments(0)  

オランダの家

アムステルダムである人のお家を見せていただくチャンスがあった。運河沿いにあるその古い家は、小さな入り口の典型的なオランダの住宅で、人一人分の幅の低いドアを、半ばにじり口を通り抜けるかのように通り抜けて屋内に入る。その入り口はすぐたたきになっていて、一階から最上階の人が共有している。見せていただいたのは、その中の一軒分であるが、グラウンドフロアはお店が借り、2階、3階が一軒分として、鍵のかかるドアがついて、家庭の住まいである。その階段は30度くらいの傾斜で、にじり口サイズの幅にできている。次の階に上る階段も、一軒の中に含まれる2階、3階をつなぐ階段も、にじり口サイズだから、思い荷物はよほどの力がない限り、運べないという実情だ。かなりピンボケに反応する階段の電気は、暗い階段を途中まで手探りで降りなければならない。「これではお年寄りには生活しにくいのでは?」と訊いたら、確かにその通りで、今や運河に沿ったその住宅は学生たちが多数を占めているそうだ。外側から見ると、可愛らしい小さなドアのとんがり屋根の住宅街も、ドアの内ではこうなのかと思ってしまったが、それと同時に、アンネ・フランクの隠れ家の階上に向かうドアが本箱としてカムフラージュされたり、屋根裏に生活できたりしたその裏付けをみたように感じて、とても興味深かった。
アムステルダムの中央駅から徒歩で10分くらいのロケイションであるが、ほんとにたくさんの言語が通りに飛び交って、ヨーロッパはそれが魅力だ。

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# by sakura_mohila | 2018-10-23 14:31 | Comments(0)  

被り物

柿が熟れたり、熟れすぎたり。烏も食べる。小鳥も食べる。人間も食べる。手の届く範囲の枝からもぎ取って柿を食べたら、熟していて、とてもおいしかった。たくさん実がついて、枝がたわんでいるけれど、時間のある時にはしごを出して取るしかない。こんな時には烏が敵だ。持ち主を見下して、柔らかに熟した実をつついている。烏がそうすると敵意を感じるけれど、小鳥が啄ばむとかわいらしい、とつい目を細めるから、私って勝手の典型かもしれない。このような秋晴れの日はお日様の腕の中で烏たちがのびのびと実をつついていることだろう。人生の定めだ!
ところで、西洋の数百年前の絵を見ていると、いつも思うことがある。教養高い婦人が髪にレースや宝石で飾った被りものをしている。繊細な手仕事で、その婦人たちは富と教養を背景にしていると、見て取れる。しかし私はなぜかカジョルレカやファテマ、最近になって再婚したクルチャンまでもがブルカを着て、髪までカバーして、ダッカに出てくるようになった、という事実と関連して思い出してしまう。ダッカの婦人たちはブルカをあまり着用していないから、これはもはや廃れつつある習慣かもしれない。でも村の女性たちは黒い被り物でやってくる。数百年前の女性と同じように。
彼女たちはそれが身についていて、ダッカのオフィスで階下のコピー屋さんに行く時でさえ、ブルカを着て、髪を覆う。その身支度が終わる前に、行って、コピーをして、帰ってくることができる。もしコンピューターの時代に仕事をしたいなら、この時間の管理をまず、現代のモードに合わせるべきではないか、と考える。これはイスラムの女性たちの意識の問題だ。
それぐらいだから、彼女たちは時間の管理が数百年前的だ。

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# by sakura_mohila | 2018-10-22 12:43 | Comments(0)  

帰国しました

18日夜、無事に帰国しました。
少しずつ、今回の旅で感じたことをまとめたいと思います。
今回は思いもかけず、ウィリアム・モリスが住んだ村を訪れることができ、とても満足しています。村のどこを歩いても、モリスの絵が思い浮かんで、彼はこの可愛らしいバイビーの村で世の中の何を考えたのだろうか、と彼の心情を検索しました。産業革命で変わる世の中で、何を是とし、何を非としたのか。彼にとって理想の生活は何であったのか。手仕事と大量生産の中で、そしてそれを受け入れる人々に、何を警告しようとしたのか。実際の現場に立つと、書物で偉い先生がおっしゃるのとは違う理解ができます。学生時代にモリスのことを読んだ時には知識しかなかったのですが、現在サクラモヒラの活動を通して、もっと違う理解の仕方ができて、そのことを喜んでいます。
そこから足を伸ばして、シェイクスピアの生誕の地に遊んだのですが、それも充実した時間でした。シェイクスピア劇の朗読を聞いたり、彼が幼少にあって学んだ学校を尋ねたりしたのですが、公務員の人が当時の服装をして当時のアクセントでラテン語のクラスの模倣をしてくれました。お陰でラテン語の語形変化を少し覚えましたよ。
両者ともにイギリスのビッグな存在ですが、目に見えない豊かさをいただいたように、心がとても満たされている感じです。

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# by sakura_mohila | 2018-10-19 16:43 | Comments(0)  

お知らせ

10月10日、夜からヨーロッパに行ってきます。18日に帰国します。
電話は通じませんが、メールは通じます。
ご不便、申し訳ありません。

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# by sakura_mohila | 2018-10-10 14:42 | Comments(0)  

宅配便

庭にばらがよく咲くようになった。春の色と秋の色が違うから、とても不思議に思われる。空気の色が違うのかもしれない。植物はほんとに正直だ。
明日からしばらくオフィスを留守にするので、なにやかにやと追われ仕事を片付けていたり、宅配便を出したりして思わぬ時間がどんどん過ぎていく。
ダッカで村の女性たちと仕事をし終えて、彼女たちが村に帰る時、仕事の材料でかばんはまんぱん。今回のようにファテマが12月に出産を控えていると、荷物を持つ手が少なくなった。カジョルレカさんのいつもの調子で、「仕事をもっとだしてくれ、ヒラマ」の威勢の良さが出てこない。彼女もどちらかというと弱ってきているから、「荷物が重い」という言葉が始めて出てきた。しかも一番若いクルチャンは身軽な小さなかばんで、親戚の家に行くという状況である。昨今宅配便ができたことを小耳にはさんでいたので、聞いてみたら、カジョルレカさんはまず「お金がかかる」といい始めた。しかし宅配便のサービスセンターがダッカのオフィスのすぐ近くにあったので、食事に出たついでに情報を集めたらしい。そして半ばその気になっていたのだが、彼女たちの村までは、なかなか思うようには届かないらしい。しかし男週衆をだれか頼んでバス亭のあたりまで待機させていたらどうなのだろうか?と、日本人は思っていたら、シラーズさんの一言。「それくらいの荷物は持てます。高いでしょ」以上。
しかし2月が過ぎたら、ダッカに通う人たちの若返りを計画しようと思っている。若い人、若いアイディアがないとバングラデシュといえども、前に進めないのだ。

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# by sakura_mohila | 2018-10-10 14:39 | Comments(0)  

乖離

公園のヒマラヤ杉の青いコーンがとてもかわいい。晩秋から12月まではそのコーンが見たくて、その道を通ってくる。ヒマラヤ杉の香も好きだ。尊敬していた先生の軽井沢のお庭にヒマラヤ杉が何本も植わっていた。彼女のご両親の代からの場所なので、100年以上も過ぎた場所だと思うけれど、大きな土地にそれほどたくさん植わっているという印象ではない。「姥百合」と先生が呼んでいらした薄い緑の百合もよくさいていた。先生が「こんなにひそかできれいな花なのに、名前がちょっとね」と先生がいつもおっしゃった。先生はご家族に恵まれず、孤独な老年を過ごされたけれど、このお庭に来るたびに「ヒマラヤ杉の香りがかぎたかったのよ」とおっしゃっていた。いつも話し相手になっていたけれど、先生の話題は、「インドへの道」とか「シャングリラ」とかヴィクトリアのイギリスの本が主であったように記憶している。道中、横川の釜飯を買って行って、お昼に食べる。そのお庭には何年も先生のご家族が食べた釜飯の釜がいっぱい埋まっていた。その時にはすでに80歳を越えられていたのに、その家を管理しているおじさんは、その80歳を過ぎたある大学の名誉教授を、「お嬢さん」と呼んでいた。
編み物のクラスがサクラモヒラのオフィスで毎月あるけれど、指を動かしながらの話題はとてもおもしろい。今日、花が咲いた話題は地球の環境のことや自然と共存して生きることである。羊毛は昔は季節が来ると刈り取ってそれを糸に加工したけれど、今はそれでは効率が悪く、食肉と羊毛を同時に収穫してしまうのだという。また知らずにいることが多いけれど、女性の化粧品や日焼け止めクリームの成分はあまりにも細かくて体内に入り、そのまま流されて解けることがないものが使われているそうだ。繊維にしても、解けずに海に流れ、そのまま魚が食べている。
神経質になりすぎても困るけれど、知識がないのも問題かもしれないね。

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# by sakura_mohila | 2018-10-09 18:24 | Comments(0)  

自信

ダッカに行っていて留守の間に、ミモザが台風の風を受けて倒れてしまった。植木屋さんはどこも大忙しなので、なんとか間にあわせたものの、その木の枝を処分しなければならない。大きな枝をのこぎりで切りながら、今日の午前中はまだ作業が終わらないくらいのこっている。今週は、ヨーロッパに出張なので、なんだか気がせくけれど、忙しい時にはこんなことにも目をつぶらなければ成り立たない生活のスタイルになった。本意ではないけれど・・・
ダッカで、大家のシラーズさんは値段にとても敏感である。というよりは、日本人の私たちが買うものは、巧妙に値段が上げられていて、知らぬが仏で、いいなりの値段で買っているのだ。それがわかるシラーズさんはほんとに神経を尖らせている。
ダッカの研修を終えた村の女性たちは村に帰ってからの作業用の糸をオフィスの近くのマーケットで調達して帰る。これはおおきな問題だ。一つには、村では品質のよい糸も品数もない。村の女性たちだけでは心細かろうと、私がついて買いに行ったのだが、どうも高くて、信じられない値段である。彼女たちが慣れた頃にお金を私て買いに行ってもらったら、値段はほんとにさがった。しかもリーダーのカジョルレカさんは、値切ったり、きちんとチェックを入れて買っている。何年かそれを繰り返しているうちに、彼女は糸屋のおじさんと信頼関係を結ぶようになり、もはやなにもためらうことなく糸を買っている。それでもニューマーケットという場所に行った時、糸がたくさん売っていたので、こちらの方が選べるかと思い、彼女をその場所に連れて行ったら、「モーチャックマーケットの方が安い。ここに来るのは完全にタイムロスだ」と言い切った。それで、なんだかとても安心して彼女に糸を買うお金を預けている。初めの頃は彼女も言われるままだったけれど、こうして一つずつ自信をつけていくのだろう。

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# by sakura_mohila | 2018-10-08 17:44 | Comments(1)  

帰国しました

ダッカから帰国しました。ダッカは例年になく暑い秋を迎えていました。しかし暑い、暑い、とぼやきながらも、皆、働いていましたので、こちらも普通に仕事をしてきました。リクシャ引きの人たちは、どんなに炎天下でも、雨でも風でも、人を乗せてあの条件の悪いダッカの街を走るのだから、それを見たら簡単に文句はでなくなる。
村の女性たちの中では、出稼ぎがブームになっているようでした。サクラモヒラの三人の女性たちの二人の夫たちはサウジアラビアに出稼ぎに出ています。しかしそのような家庭は増えているようで、村のFBを見ていると、いかに外国に出稼ぎに行っている人が多いか、検討がつきます。女性たちのおしゃべりの中に入ったら、日本に働きに行きたい、という話題になって、赤ん坊や夫たちを置いてさえ、外国で働くことがある種の夢をかなえてくれるようです。一番若くて新しい村の女性が、一人になるといつもスマホにかじりついているので、少しきついことばを言ったら、「夫がサウジアラビアに働きに行った」と言いました。2年間は帰ってこないそうです。彼女は再婚をして半年も経っていないことを思うと、半分見てみぬ振りをしたけれど・・・彼女は飛びぬけてスローなので、お姑さんにきつく言われないように祈るばかりです。4人の食事を作っているということなので、きっとダッカのサクラモヒラの仕事場ではほっとしているのかもしれません。今はダッカにこなくなった一人の女性は息子さんを出稼ぎにだそうとその飛行機代などの費用を街の金貸しから借りたのですが、その話は実現せず、借金とそこから発生する利息に追い立てられて、結局は家を売ることになりました。聞いていると、彼女の人生は螺旋階段を落ちていくようです。彼女の「不幸を友にしている」ような淋しい表情が目に浮かびます。

本で読んだベンガルの布の歴史を彼女たちに、機会があるごとにしているのですが、その結果、彼女たちが自分たちの歴史のものに興味を持ち、今回の製品に取り入れるようになっていました。思わぬ効果に喜んでいます。





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# by sakura_mohila | 2018-10-06 16:45 | Comments(0)