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心の声

小山市のまちかど美術館の展示会は、電車の往復が恰好の読書の時間でした。
小山まで、佐野や宇都宮から来てくださった方たちもいて、交流も楽しかったです。

さて、電車の中で読んだ「致知」7月号の感想です。その中の一つに、認定NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会路地帳・高山良治氏と作家の神渡良平氏の対談がありました。高山さんの言葉は飾らなくて、心に響きました。彼はカンボジアの地雷撤去い始まり、すべてをその場所に生活する人のためにささげている人ですが、こんな表現をしています。
よく命が一番大事だっていわれるけれども、私は違うと思います。命よりも大事なもんがある。
それはやっぱり好きなことをやる、ということです。それが命よりも上だと思いますよ。もちろん命を軽々しく思っているわけじゃない。でも、命を落としてもやりたいことをやる。世間から見たら最悪のアホでしょうけどね」

虚飾も偽善も入らない表現。
このような言葉を言えるような生き方をしたいです。

# by sakura_mohila | 2019-07-08 10:21 | Comments(0)  

小山の最終日

今日は小山市のまちかど美術館の最終日を迎える。自分がせっせと小山まで通うことになるとは、夢にも思わなかった。けれど、その場所の人たちとの交流が増えるにつけ、また行きたい、と思う場所になった。

昨日の同館での「お話会」で、自分がかかわることになったバングラデシュの社会、村の女性たちの20数年間の変容を話たのだけれど、話ながらいろいろなことがらの発見もあった。参加してくださった方たちがもっとも興味をお持ちなのは、バングラデシュの社会のことだ。質問にお答えしようとするけれど、私たちの社会に流布する知識があるがために、こちらの言葉が発端となって、異なった受け取り方に変ってしまう。実際に経験したこともない社会のことなので、初めに入った知識が大きな割合で居座って、その後の声はなかなか入り込めない、という状況だろうか。

しかし現場を仕切る者には、あちらで起こっている変化に、ある時、はっと気が付くことがあるのだ。例えば、いつものようにサクラモヒラの村の女性たちと、仕事に関してやりとりをしていて、「自分で決定をできることが増えた」とか「対価の意識が進んでいる」とか「責任を持つ」ということがわかりはじめたとか、独立した人として当然の資質を持ち始めていることに気が付いていくのだ。
本人たちでさえ、気が付いていない。それは長年のやりとりの中で、身についていったものだ。

単純作業を繰り返して、給料をもらい、生活が向上した、という報告もよく聞くけれど、サクラモヒラはそのような大きな組織ではないし、自分にはそのような能力もないだろう。
ある時、ダッカ大学で環境を専門とする教授が彼の関係するアパレル工場に連れて行ってくださった。ダッカの郊外にあるその工場は、ピカピカにお掃除され、工場内に緑がデザインされて、排水も処理してから流されるので、中はどこにでもあるクリーンな生産環境であった。社長さんもそのことを誇らしげに話しておられた。バングラデシュもここまできたか、という気持ちで見学をした。お掃除の人が、いつもいつもモップを使って、綿埃をとりさっている。
製品のチェックをしている人と目があった。毎日、毎日、製品チェックをしていて、速く正確である、という経験を高く評価されているそうだ。

でも、目が笑ってないよ。サクラモヒラの村の女性たちは、体が笑っている。
最近、気が付いたことである。



# by sakura_mohila | 2019-07-07 09:53 | Comments(0)  

想うこと

はっきりしない天候だ。こんな天気の日を英語でどのように表現するのだろうか、と思いながら、大好きなマクミラン社の辞書を開いた。頭に浮かぶ単語を辞書で出しながら、その項目を読んでいくと、面白くなって、いくつかの単語の項目を読んだ。紙の辞書を読む時間は、小さな時間だけれど、満足感がある。数分のことなのに、目的がピンポイントでなく、いろいろなことが書いてあるから、ほんとに豊かな時間が持てるように思うのだ。辞書のぼろぼろ感や紙の重みも、なんとほっとすることだろう。それなのに、あまり辞書を開かないから、よほどのばかだ。

小山市のまちかど美術館でサクラモヒラの展示会開催中なので、小山市まで電車で行くのだけれど、車中の読書は楽しい。「致知」という雑誌の7月号に、元トヨタ自動車技監の林南八氏のインタビュー記事があった。終戦前と戦後の
途上の時代をトヨタで、鍛えられた方だけれど、その一つ、一つの体験談が大変興味深かった。貧しい時代を生きる人たちと、豊かな時代を生きる人たちの違いが覗えて、考えるヒントが宝のように光っている。

「致知」という雑誌に盛り込まれた記事も、恥ずかしながら知らない日本語がいっぱいあって、自分が日本語学習者レベル3とかになった気分になる。そんな時こそ、辞書を開けばいいのに…と、反省しつつ…タイヘンダ!今日は小山のまちかど美術館で、バングラデシュの社会とサクラモヒラの村の女性たちの変化、というタイトルでお話し会をすることになっている。準備をしなくては!!

という具合で、いつも日本語レベル2に昇格できるチャンスを逃している情けなさだ! 反省。

# by sakura_mohila | 2019-07-06 10:38 | Comments(0)  

さくらんぼ

さくらんぼの季節が恵みのように思われる。かわいらしい実を見ると、買いたくなって、ついつい買ってしまう。日本のさくらんぼもかわいらしいけれど、アメリカのさくらんぼはかわいらしくなく、かわいい。黒っぽいさくらんぼ色が食指をそそるのだ。

U-Tubeでさくらんぼの収穫のビデオを見て、驚いた。信じられないくらい、大雑把な収穫の現場をみることになった。ヨーロッパのさくらんぼ摘みの人たちを思っていた自分は、時代についていってない典型のように思われた。果実収穫トラクターのような車を一人で操り、機械の腕でゆさゆさと枝を揺すると、紅い小さなさくらんぼがどわどわと平たい鉄板になだれ込む。それを荷台に落として、プールのような場所で洗い、作業が終わる。その収穫機から零れ落ちた実は多数う。それをどうするのだろうか?
アメリカの大規模農業のスタイルを裏切らない、さくらんぼの収穫の動画であった。

興味がわいて、コーヒー、オリーブのような小さな果実の収穫の写真をインターネットに探してみたら、他の収穫の風景は昔ながらに馴染みのある収穫の風景が登載されていた。

機械化がなければ、収穫量も限定されることだろう。かくして綿の収穫も、織物も機械化されてきたのだろう。
今や、量産が当たり前になり、自然を害するほどに、ごみを出している。

自然と人間の生活のほどよいバランスはどこにあるのだろうか。意識して、そのバランスを探す時なのかもしれないね。


# by sakura_mohila | 2019-07-05 09:59 | Comments(0)  

雨に想うこと

九州の豪雨を思うと、言葉を失う。
自然が牙を剥いた時、その恐ろしさは、言葉を失うことであろう。


さいたまの雨の音は少しおさまった。まわりを見たら、建物ばかりが見え、その向こうに神社の杜が見えて、牙を剥く自然の様相は微塵もない。しかしそんな時も数百年の間にはあったそのに違いないし、また、その反対に守りを与えてくれたこともあるにちがいない。
自然は変えられない。でも自然と対話しながら、自然の一部である自分は変えられる。種から芽が出て、成長し花が咲き、種をつけて朽ち果てるという、植物と同じ自然の原則はかえられないままに。

街の生活をしていると、どろんこ道を忘れてしまう。日本にいると、生活の場所はほんとに整っている。
バングラデシュの雨季は、どろんこ道があちこちにできる。高級住宅街の道路にさえも、水たまりができて、そこに小さな魚さえ跳ねていたことがある。いったいこんなにわかの水たまりにどこから来た小魚なのだろう。

人々は、街を歩くのに、サンダルを履いている。さっと水で洗えば、泥んこ道もそれほど気にならないのかもしれない。と言うか、選びたくても、選べないではないか。
日本人はそのような一つ、一つが気になるけれど、現地の人たちはあたりまえのごとくに、やり過ごしている。村の家だって、風や土砂降りにはどうするのだろう、とついつい思ってしまうけれど、その場にすむ人たちは当たり前に日をすごし、笑って、翌日を迎えるのだ。

こんなことを書いていたら、雨の音がもっとひいて、空も明るくなった。さて、当たり前の顔をして、次のステップを踏み出そうか。

# by sakura_mohila | 2019-07-04 10:42 | Comments(0)  

小山のまちかど美術館

メロンを食べました。ちょうど食べごろでした。野菜や果物を季節に楽しむのはほんとに喜びであるように感じます。なるべく、野菜を栽培したい、と考えています。特に昨今、季節感がなくなり、それに慣れるのは少々、恐ろしい感じがしています。野菜の花を見たり、収穫を楽しんだり・・・してみたいことです。

明日から小山のまちかど美術館で、サクラモヒラの展示会が始まります。
小山では、綿を栽培している人、織る人などがきてくださって、そのことも楽しみのひとつです。
今日は搬入に行ってきます。

電車の窓から見る、田植えを終えた田んぼ、畑などを楽しみに、乗り越しには気を付けます。

# by sakura_mohila | 2019-07-01 10:33 | Comments(0)  

カンボジアのお話会

日曜日、久々に「音楽の泉」を時間に追われずに楽しんだ。皆川先生の「音楽の泉」、もう何年楽しみにしているのだろう。自分のライフスタイルがいくつか変わっているのに、日曜日の8時の皆川先生の音楽の泉は色あせることなく、日曜日の朝の憩いだ。
今朝はイギリスの民謡特集だったけれど、どれも自分の人生のどこかで馴染んだメロディーばかりで、昔を思い出したり、関わった人たちの言葉を思い出したりして、ゆっくりとした時間を楽しんだ。スコットランドやグラスゴーにまたいきたい。ウィンダミア湖のほとりの朝を歩きたい。
と、思いつつも、時間の不都合も、それはそれなりに自分の思い出を構築していることだろう。10年したら、バラ色の思い出に変っているにちがいない。今の生活は忙しく、考えることも多く、ストレスも多いけれど、自分の生ぬるい過去のどの時点よりも満足感がある。仮に働きすぎで命を縮めても100%の本心で「感謝します」と言って、次の旅に出ることができそうにさえ思えるくらいだ。それは、神様にすべてをお任せします。

ところで、サクラモヒラの「途上国からの素敵なものマーケット」に2度参加してくださった「幼き難民を考える会」の関口晴美さんが、6月の最終土曜日、お話会のトークを引き受けてくださった。他の用があって、途中で席を立たざるを得なかったのは残念なことながら、常に関口さんの誠実さを実感していたので、引き受けてくださったことに感謝。

サクラモヒラは大宮東口から数分の距離にある、歴史のある押田謙文堂書店の3Fにギャラリーを5月からお借りしたのだけれど、新しい方向をさぐっている。「良きものが生まれる場所」にできますように、というのが、スタッフ一同の祈りである。手さぐりは続いて、終わることがないであろうけれど。

# by sakura_mohila | 2019-06-30 10:04 | Comments(0)  

夏の暑さ

日差しがあると、暑い、暑い…窓辺に置いたポトスのガラス瓶の中で、水が暖められて、お湯のようになっている。今日花瓶にさしたアジサイは、日の当たらない涼しい場所に置いた。

バングラデシュの村にサクラモヒラおの女性たちを10人かかえるが、彼女たちはめったなことでは「暑い」とは言わない。気候はえらべないから、そうなのかもしれないし、私が暑いとおもうほど彼女たちは実感していないのかもしれない。
ダッカのサクラモヒラのオフィスは、街中であるが10階にあり、床は大理石、壁は漆喰だから、結構涼しい。
エアコンディショナーは使わないけれど、窓はあまり開けてないので、天井に取り付けた扇風機はよく動いている。しかし村の住環境はそれさえも保障されていない。
村の普通の家はトタンの造りで、簡易住居のような蓄財である。しかし庭は広く、果樹が育ち、農作業もするスペースがある。

彼女たちは、出かけるときには、普通の服の上にブルカを着る。彼女たちの場合、顔をすべて覆い目だけ網の後ろにあるというようなタイプではないが。長いレインコートのようにブルカを着て、神をスカーフで覆ってくる。これもおしゃれのポイントで、流行のスタイルでヒジャブを巻くから、お出かけ前の時間がかかることこの上ない。アパートの下の階にはコピーをしてくれるショップがあって、急いでいるからと彼女たちに頼みたいと思うが、言うことをゆっくりと聞いて、仕事の区切りをつけて、それから身支度のブルカを着るから、その間に用事を忘れてしまうくらいである。仕方がないから、彼女たちが食事にでかけるついでに頼むかれど、それさえも、さっとでかけたためしがない。身支度にかける時間は計り知れない。
しかし「暑い」とは言わないのだ。

人のこのような習慣をどうこう言うことは慎むべきかもしれない。だが彼女たちは稼ぎたいのだ。時間を効率よく使い
働く女性のスタイルを確立するという、小さな改革は必要だと思わざるをえない時がある。


# by sakura_mohila | 2019-06-27 10:41 | Comments(0)  

親のしつけ

最近読んだいくつかの記事で、昭和の人たちが、親のきびしいしつけについて書いておられた。年をとるにつれて、その意味がわかるようになり、今は感謝の気持ちになっている、という内容である。

どこの親も、厳しすぎたことを反省しているにちがいないけれど、それがわかってもらえるのは、彼女たちが特別にすぐれた人たちだからだろうか。それともだれもが、同じ轍を踏むのだろうか。
親として反省しても、もう遅いから、後は野となれ山となれだ。親だって、よかれと思うことを精一杯にしているだけだ。
バングラデシュ人の知り合いの息子さんがハーバード大学に入学が決まったそうだ。親はとても喜んで、アメリカまで一緒に行っている。見回せば、ハーバード大学の出身者がまわりの知人に多くなった。昔は、ほんとに遠い雲の上の存在だったハーバード大学。どうしてこんなに身近な人たちが、その大学出身なのだろうか。嬉しいけれど…

日本の大学も今や学生さんたちが多国籍となり、時代は変わっているのだと認識せざるを得ない。サクラモヒラも今は2国間の活動ながら、そのうちに多国籍の組織となっていくにちがいない。それぞれの場所に育った文化を集めながら、サクラモヒラの製品ができあがっていくことを想像すると、ほんとにわくわくする。
時は流れるし、文化も流れるけれど、その中からなにかが生まれていくことだろう。



# by sakura_mohila | 2019-06-26 15:38 | Comments(0)  

更紗

「正倉院裂」(松本包夫著)という本をぱらぱらとめくっていると、7世紀の頃が忍ばれる。布の模様が原題とそれほどの違いがないのはなぜだろう。
色も鮮やかさこそないけれど、私は草木染をいつも身近にみているので、馴染みの色合いに見えてくる。
そして一番なるほどという気持ちになるのは、インドとの共通性である。今やバングラデシュで見たり、サクラモヒラのギャラリーに展示している物を見ても、正倉院のテキスタイルが類似の形をみせているのだ。
当時、大陸の行き来、文化の交流などを考えると、夢を見ているようだ。いったい国の人たちのどの範囲まで、これらの模様が行き渡っていたのか。どれほどの人たちが、これらの衣を纏っていたのか。
造ったものを大切にして、いつくしんでいた人たちの生活を想像するだけで、優雅なことのように思われる。

# by sakura_mohila | 2019-06-24 10:31 | Comments(0)