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頭からはなれないこと

何十年か住んだ家の庭から、今の住まいの屋上の庭に植物を移植してもらった。
みつばちも飼ってもらったので、朝の光の中で、みつばちや自分が親しんだ植物を見るのは、喜びが大きい。
朝、少しの時間を利用して、この屋上の庭と近所のお寺さんの仏像を見ることが、ほぼ日課になった。
お寺さんの庭には、夏の間蓮の花がきれいに咲いた。夏に花が開く様も、心から楽しんだ。今は葉も枯れて、種の茎が茶色の枯れ色を見せている。種をいくつか失敬してしまったよ!早足運動のつもりで、このお寺さんに行くのだけれど、10分もかからないから、果たして筋肉運動になっているのだろうか。けれど、仏像のお顔も美しいし、このお寺さんにはきれいなものがいっぱいあるのだ。
スーパーのお買い物バッグにいっぱい銀杏の実を収穫している人たちもいる。護りたい平和な日常ではないか。

しかし、どのような時でも、自分のプロジェクトのことは頭を離れない。バングラデシュの首都ダッカから4~5時間の片道を行く場所だけれど、なりゆきとして、この村の成長レベルに合わせて自分のプログラミングをしてきた。意図したわけではないが、ともに歩んでいるうちに、そうなった。ある意味、家族とともに歩んできたようなもので、成長した村の女性たちとともにあって、彼女たちも次のステップを踏まなければならない段階にきている。
言うなれば、学校を卒業した子どもが、独立を喜び、親にお返しをしたい、と考える段階にいるのだ。しかし、日本側も成長しているから、しばらくは、独立した大人の関係を続けたい。

懸念していることがある。今やバングラデシュの女性たちも職人さんも職業意識が高い。お金を稼ぎたい一心で、労働の権利に考えがおよんでいない。ひたすらがむしゃらである。
それを受け止めていかなければならない。できるだろうか、と時々弱気になるけれど、そんなこと言ってられっか!もうやるしかない、と自分に気合を入れる毎朝である。

弱気よ、去れ!・・・と言い聞かせつつ、みつばちなんぞを見ていると、ほっとするよ!
そんなふうに、バランスを取りながら、やって行くと思うけれど、きっとなんとかなる。

# by sakura_mohila | 2019-10-27 10:42 | Comments(0)  

朝、多くの用事があって、あちこち歩いていたら、びしょぬれになりました。
ギャラリーの窓から外を見ると、昼になった今は、傘をさしている人の中にポツリ、ポツリと傘を持たない人が見えます。郵便やさん、宅配便の人たちは、どんな雨であろぷとも傘をさしていないのだ!それに道路に立っている人もビニールの合羽をきて、棒のようなものを持って、傘などささずに、仕事のモードだ。
雨はありすぎても困る。なさ過ぎても困る。自然の中に生きていると、ほんとにいろいろなことに対処しなければならない。

今日予定されていたStreet Terraceは雨のために中止になりました。主催者はてんてこまいなことでしょう。

バングラデシュの様子を見ていると、おしゃれな傘をさす人がでてきました。日傘を使う人さえもいます。20年まえの状況を思い出して、経済の発展ということを考えてしまいました。
雨季の時期に、それまで経験したこともない途上国の雨季、ということで、恐る恐るダッカ入りしたことを思い出します。しかしその時期は果物が豊富で、日照りが少ないので涼しく、土地の人たちはそのようなことを楽しんでいました。リクシャ引きの人たちは、雨の中傘をさすわけでもないので、頭に野菜を入れた後のようなビニール袋を被っていました。他は雨の中。頭を保護すると違うのかなあ、と想いながら見回すと、リクシャ引きの人たちは、たいがいそのビニールを被っているから、なにかの役に立つのだろう、と想います。
でも、その風景も今はあまり見なくなりました。
あの再生ビニール袋のレインハットを想うたびに、今はビニールのリサイクルを考えるようになりました。


# by sakura_mohila | 2019-10-25 14:11 | Comments(0)  

写真展

今日から鈴木廣子さんの写真展が始まりました。
彼女の庭は200坪くらい。そこに咲く花、集まる小さな生き物たちが中心です。
人の知らないところで、このような小さな動物たちが生活を営んでいたのか、と改めて気付かされます。
無心に生を生きる小さな動物たちがほんとに愛らしく、また、自然の掟にそのまま従って咲く花たちも、ただ、きれい、と愛でる気持ちを越えて語りかけてくれるようにも思います。
200坪もお花があると、草取りがほんとに大変だそうです。(そうでしょうとも!)

彼女の写真展に来られた方が思いがけず、私の知り合いでもありました。10年以上前に2回お会いして、それきりになっていましたが、お名前がそのままでてきて、われながらびっくりしました。
彼女はピアノを弾かれる方なのですが、10年以上も前に聴いた彼女の演奏、サンサーンスの「白鳥」をずっと、音と指で覚えていたのです。
やわらかな音のサンサース、もう一度聴きたい!


# by sakura_mohila | 2019-10-23 17:22 | Comments(0)  

過程の中で思うこと

スタッフの牧子さんが、一心不乱にカディのカーテンを作っている。かなり根をつめているけれど、この2週間はカディのカーテン、カーテンで明け暮れる彼女の仕事場生活だ。納期がせまっているのと、カディを扱いなれていない、というのが原因ながら、カディの扱いに慣れたら、任せてよ!がでるに違いない。お客様はリピーターで、古いカーテンを捨てて、カディのカーテンにする計画をお持ちだということだ。
鈴木広廣子さんの写真展が23日から始まるので、典子さんも大忙しで、今日の月曜日のお休みは返上して作業にあたる。
にわかに、サクラモヒラのギャラリーが、充実した時間の場所になっている。
ダッカのオフィスにいても、皆、一生懸命である。彼女たちは、「稼ぐ」ということが前面に出ていて、労働条件もなにもなく、仕事が欲しい、と言う。労働条件を日本の基準に当てはめて、「時間を越えて働かないように」などと言ったら、バクハツしてしまいそうだ。
彼女たちの始まりは、ほんとにオソマツな仕事であった。けれど、今の仕事は、途上国も先進国もない。彼女たちの製品である。
関わった人の立場から常日頃心に来る言葉は、「私は彼女たちを誇りに思う」ということである。
それくらい、彼女たちはいいものを作ってくる。

日本の充実、ダッカの充実を想って、この瞬間は、自分でさえも充実感に満たされてくるのだ。
これから、するべきことは充実しすぎているにしても・・・

# by sakura_mohila | 2019-10-21 12:06 | Comments(0)  

短調の言葉

帰りがけに、ビルの間に見えた月がきれいだったので、ちゃんと見たいと思い、ベランダから眺めてみたら、ちょうど雲から顔を出して、すぐにまた雲の陰に隠れてしまった。2時間して、また見ようとしたけれど、今度は雲の陰から光が見えて、金色の月はもう見ることができなかった。丸いお月様だったのに。
それにつけても、「十五夜お月さん、姉様は十五でお嫁に行きました」と短調で歌う童謡があったことは、とても詩情があると思うけれど。

藤田桜という絵本画家の絵をみていたら、懐かしい気持ちになった。同様を布絵にしたものがあり、その中に、「♪かえるつばめは きのはのおふねね なみにゆられりゃ おふねもゆれるね ササゆれるね♪」の詩があった。なぜ知っていたのかわからないくらいに、記憶にない歌だが、自然にメロディが口をついてでてきたから、きっとよく歌っていたのだろう。
彼女は40年くらいをイタリアで暮らし、高齢になって現在は日本に戻られたそうだ。ご主人ともども、90歳前後にして、まだ減益の画家さんたちである。
藤田桜さんの布絵は、このつばめの詩のようにどこかやさしい情感が漂う。加齢とともに、イタリア気質を受け入れることが難儀になり、日本に帰ることを決断なさったそうである。それも地方の小さな場所に。
動揺の歌詞は、どれも、こんなに優しい表現が普通によくできるね、と感心することが多くなった。そしてそのような言葉を話してみたいと思うのに、なかなか難しい。
何が違ってきたのだろう?自分の親たちは果たして、そのように優しい表現をしていたのだろうか。

時々、自分が発する強い口調の言葉を、深く反省するようになった。

# by sakura_mohila | 2019-10-14 16:15 | Comments(0)  

Book shops

ミラノとジェノアを歩いていて、本屋さんがとてもおしゃれであることに気がついた。言うなれば、
おしゃれなカフェで、おいしいコーヒーのために、座っているような雰囲気がある。つい入ってみたくなり、ふらふらと入っていくけれど、
期待が裏切られることはなく、本はさておいても、おしゃれなグッズが必ずやみつかるのだ。
かなり前になると思うけれど、初めてAmazon.comが出現した時、インターネットもまだ今ほどの普及もなかったけれど、それでも慣れないインターネットを使って恐る恐る、そして次第に大胆に、洋書を注文するようになった。
洋書や古い版画のカレンダー、バレエの音楽や写真などを手に入れるたびに、こんなに簡単にヨーロッパやアメリカのものが手に入ることが喜びだった。
手紙で注文して、忘れたころに郵送されてくる本とは大違いではないか。
今はなるべく近くの本屋さんで買う。重いし、インターネットの画面が見えにくくなってきている。

ヨーロッパで見る本屋さんは、紙の藝術屋のような趣があって、それがすきなのかもしれない。
ただ入るだけでも楽しい。考えてみたら、日本にいる時にはいつも時間に追われて、欲しい本をぱっと探して、さっさと帰る、という自分のパターンではないか。
しかし違いはなんだろう。ダッカでは、まだおしゃれなカフェの雰囲気のある本屋さんに出会ったことがないんだよね。雑然とひたすら本が並んではいるけれど・・・


# by sakura_mohila | 2019-10-13 13:08 | Comments(0)  

自然とともに

朝早く、荒川の土手沿いに車を走らせて見た。
富士山が、澄んだ秋の空にくっきりと見えて、あちこちの山々もほんとにきれいだった。
昨夜、荒川や芝川の雨量に関して、何度かアラームの情報があったので、確かめてみようと思ったのだが、荒川の水にはほんとに驚いた。
暗闇にあの水が押し寄せてきたら、さぞかし不気味で恐ろしかったことだろう。近くの人たちは夜が明けて、ほっとしているに違いない。
恐ろしい姿もあるのが、自然なのだ。ほんとに心しなくてはいけないね。
人のいない台風の街に、また人が戻って、命がよみがえったようにほっとする。

こんなふうに考えてみると、今はほんとに大切だ。よい時も、悪い時も今だ。
加齢とともに、今の大切さがわかるようになった。


# by sakura_mohila | 2019-10-13 12:22 | Comments(0)  

帰国しました

ミラノとジェノアで、1週間を過ごして、帰国しました。
ジェノアでは、アパートメントを借りました。古い街のあちこちと人の生活は、見ても、見てもあきることがなく、旅には終わりがあって、ほんとに救われたと思います。古い街は、街角のどこにも古くからの物語があって、そのようなものを読んでいると、浦島太郎の親戚になったような時間が過ぎてゆくでしょう。
人がすれ違うことができない石畳の通りを歩いていると、当時の土木技術が忍ばれますし、両側の家の生活までもがのぞいてみたい対象になってしまいそうです。しかし、現在もその生活は続いていて、内装こそは変わったけれど、表向きの石の壁は当時のままです。
いろいろなことを連想しながら、その石畳の路地から路地へと進んでいると、なんだか違和感のある短い通りに出ました。ゆっくりと分かってきたことは、娼婦の通りなのだ、ということです。昼間でしたが、街角に立ったり、座ったりしているその女性たちは、後ろめたさもなく、ごく自然に営業しているふうでした。それで、こちらも、見てはいけないものの前を通るのではなく、普通に通りを通りました。おもしろかったです。
小銭が必要になり、カフェでコーヒーを飲もうと思いました。すると、初老に見える女性がなにやら難しそうな話をしてきます。どうやら、ホームレスの外国人で、ただの物乞いではなく、哲学的になにかを訴えているようです。
店主が、「ふ、ふ」と笑って、コーヒーをあげました。その笑い方から判断して、「ごもっとも」と言っているかのようでした。コーヒーがカップに入る間、他の客も、なんだ、かんだとふつうの会話をしています。
用事を終えて、そのカフェを見たら、件の初老の女性は外のカフェ席にゆったりと座り、コーヒーを飲みながら、ゆったりとたばこをくゆらせていました。
1時間後に、その場所を通ったら、まだ、ゆったりと座っていました。
翌日、少々期待してそのカフェの前を通りましたが、その女性はもういませんでした。

その同じ主要駅から数分の場所に小さなスーパーマーケットがありました。食料品専門です。その入り口とならんで、ふとんや毛布が積まれています。初めは、ごみ収集所かとおもいましたが、何度か通るうちに、それはどなたかの正式登録されていない住所であることに気が付きました。
ある時、通ったら、その食料品店で買ったかもしれないような、パンやケーキが袋に入れられて、布団の上においてありました。
こんな裏話、とてもおもしろかったです。



# by sakura_mohila | 2019-10-11 16:50 | Comments(0)  

野菜

知り合いの畑から、茄子とピーマンが届いた。
袋を開けたとたんに入ってくる、ピーマンと茄子の香り。はちきれんばかりに瑞々しい茄子の紺色。
生でたべることにしました。おいしかったです。
八百屋さんの店先に山盛りの野菜が、このように香りを放っていたら、どうなるのだろう。

ダッカに滞在する時は、外人でも買いやすいスーパーマーケットに行きます。正直、野菜は黒くなっていたり、しなびていたり・・・ですが、この場所が買いやすいのです。
例えば、生姜1掛け、ピーマン2個、お米1k等々、土地の人たちとは、買う単位がちがうのですが、それでもこのスーパーでは買えるので、逆に言えば、ここしかない。
店員さんたちも初めは戸惑い顔でしたが、次第に慣れて、今は普通に計りにかけてくれます。
ダッカでおいしいものは、チーズとヨーグルトだと思います。日本のチーズが、いかにもまだ乳製品を食べなれていない国のような味であるのに対して、バングラデシュのチーズとヨーグルトは、こなれて自国の味になっていて、とてもおいしい。

# by sakura_mohila | 2019-09-30 15:10 | Comments(0)  

状況の変化

我が家の窓から、今頃限定で日の出が見える。
太陽が顔を出し始めてから、全容を現すまで、それほど長い時間がかかるわけではないが、ぐいぐいというリズムの中で昇る感じがする。あの力強さに、心から魅了されてしまうのだ。
ダッカから帰ってくると、あれもし足りなかった、これもできなかった、という事柄が次々とでてくる。かりにその仕事場が自分の生活している場所であったなら、予定を組んで、少し」ずつできるだろう。だが、1週間くらいの間にすることは、ほんとに限られる。自分の予定を組んだとしても、相手はそのペースでは動けないことが多い。そしてサクラモヒラの場合、生産のほとんどはバングラデシュなのだ。
しかも、こちらで意図したことと、同じには撮っていない相手方があって、できあがった結果に唖然とすることもある。

必ずと言っていいくらい、生産のリストに入っている製品があった。こちらはいつも通りで、という指示をだしたのだが、その製品には大小があって、どうやら私は大の製品を指差して、「いつも通り」と言ったらしい。できてきた結果は「大」ばかり。こんなのなにもいつも通りじゃないでしょう!と怒ったところで、次にダッカに来る会まではどうにもならないのだ。
ダッカに女性たちを呼ぶことにかんしても、すでに何年間かが経過し、このシステムをそろそろ見直してもいいのかもしれない。
一つ歯車が合わなくなると、次から次と、変な結果が生じてくるのだ。
そんなわけで、今回は少々「へこみ」モードの「after Dhaka」である。
これは問題をつきつけられたということだから、対処するしかないが、それにしても、私のお粗末なベンガル語がうらめしい。
それでも、やるか!(渇ッ!)

# by sakura_mohila | 2019-09-28 17:37 | Comments(0)