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インディアンサマーによせて

朝、6時過ぎに散歩に出たら、寒かった。防寒着を着ていたけれど、腕を振って早足で歩いたら、手袋がなくても気にならなくなった。
いつものお寺さんも、近頃は門が開いていなかったり、ホールの電気が消えていたり、と夏の全開のモードがなくなっている。お堂の階段を駆け上ったら、中から音楽が聞こえてきた。いつも聞こえてくるのだけれど、今朝の音楽は耳と心に残るメロディである。
果てしなく広がる平原に吹く風の流れでもあるように聞こえてくる。
バウルというのはバングラデシュの吟遊詩人だが、その人たちを連想した。
私がバングラデシュに関わって、今や28年目だけれど、初めの頃、それとは知らずにバウルの人たちに行き逢っていたような気がする。当時は何も知らないままに、これがバングラデシュか、とさして深く考えずにきたけれど、バウルのことを知って以来、思い当たることがあるのだ。無念かな!そのような類の人たちは社会から遠ざかり、簡単に行き会うことができなくなった。物質文化が進んでいるバングラデシュである。
グルシャンという、郊外の高級住宅街の小さな公園で会った笛売りのお兄さんにもう一度行き会いたい。大きな笛、小さな笛を担いで、演奏しながら笛を売っていたけれど、買う人もほとんどおらず、笛の音色が街を埋めていた。
しかしその公園でさえ、池が埋められて、木が払われ、ビルの土地に貸してしまったのだ。
お兄さんがマンゴウの林を背に吹いてくれたのは、直径が10cm、長さが1mもありそうなアジア竹の笛であった。あのメロディ!
澄んだ音が流れていたけれど、まさに自然の風が流れている場所が似合っていたのだ。
朝の散歩で訪れる「釈迦堂」のお釈迦様は、長い棒を持って、戦う様相をしている。穏やかというよりは、まっすぐに前を見て、命の目的を達成させようとしている、というように見える。
そして、あの、名も知らない、草原を渡る風のメロディは、甘さがなくて、とてもよく似合う。

# by sakura_mohila | 2019-11-17 13:04 | Comments(0)  

気がつくこと

寒い朝になってきた。寒いのは好きではないけれど、寒さゆえの空気の美しさは魅力的だ。
空気が違うだけで、毎日見るものがこんなに違って見えるのはなぜだろう。
人が、表情が違うだけで、違う印象になるのと同じことかもしれない。

寒い朝と言えば、サクラモヒラの村の女性たちがダッカのトレイニング中のことを思い出す。
ダッカの1月はセーター1枚を着るくらいの温度である。村の女性たちは、水のシャワーを使っている。村では給油の設備があろうとも思えない。真っ赤な肌をして、髪や身体を洗っている。
ダッカの場所には、メインベッドルームに大きなお風呂がある。ほかのベッドルームには、湯船はないまでもシャワーがある。彼女たちが使うのは、住み込みの手伝いの人たちが使うようのバスルームであるが、地元の仕様になっている。給油の設備もないけれど、それはかの国の、彼女たちの社会のステイタスでは、あたりまえのことである。
寒くないのだろうか?
シャワーと言えば、赤ん坊の育て方もかなり自然に近い。何日かをダッカで過ごすことになる、赤ちゃんはお風呂に入らない。パウダーのようなもので、さらさら拭いて、おしまい。それでなんともないよ!
赤ちゃんは元気そのもの。次に会うときには、よちよち歩きをしていることだろう。

そんなことを直接見るたびに、自分が「寒い」「暑い」を言わなくなっていることに気がついた。
身体が頑丈になったのだろうか?鈍感になったのだろうか?

# by sakura_mohila | 2019-11-16 11:09 | Comments(0)  

Happy Prince

晩秋の今頃、「枯葉」の歌はなんというマッチだろうか。しかもイヴ・モンタンの「枯葉」は比較できるものがない。何年も前になる。モンタンがまだこの世に生存していた時、フランスに行った。迷わずかったのが、イヴ・モンタンのCD.今でもそのCDは、特に今頃になると出番が多い。一緒に買ったのが、ムスタキのCDで、これも今でも色あせずに自分の大切なコレクションである。彼とエディット・ピアフはミスマッチのイメージだが、彼もピアフと1年間の恋人関係であったらしい。これは軽いショック。モンタンとピアフは、納得だけれどね・・・ でも、人様のことだから、コメントするべきことでもなんでもない、と思いつつ。

Happy Prince, 「幸福の王子」はクリスマスが近くなると、テレビにクリスマスシリーズとして必ず登場するようなオスカー・ワイルドの小品だが、昔の本を読み返してみて、思わぬ発見があった。
つばめがエジプトに向かおうとして、幸せの王子のお使いに追われ、寒さで王子の足元で果ててしまうのだけれど、そのつばめが王子の刀の鞘飾りからついばんで、届けた大きなルビー。それは貧しい母子家庭で、」母親はお金持ちのお嬢様から注文を受けて針仕事をするお針子である。坊やが病気で、思うように針の手が捗らず、注文主に「なまけもの」のレッテルを貼られてしまうのだ。貧しさで、家は寒く、充分な食べ物もない。しかも坊やが病気で、その母親のお針子は困憊している。そこに届いたルビーで、救われる母子家庭。しかし私が興味を持ったのは、そのことよりも、夜通し針仕事をするビクトリア時代の女性である。内職のことを”moonlighting"ということからの、勝手な推測だが、電気がなかった時代、窓から漏れる月明かりで、夜通し働くのは貧しい家庭の普通だったのかもしれない。

自分がはからずも関わることになった、しかも27年も関わった布の世界と重ね合わせながら、ビクトリア時代の物語を読むと、以前とは違う発見があって、いろいろなことに興味がわいてくる。

# by sakura_mohila | 2019-11-15 12:20 | Comments(0)  

美しいもの

真夜中に月を見た。煌々と存在していた。いつまでも見ていたかったけれど、寒かった。
翌朝は、雲が厚くて、昨夜のクリアないでたちの月夜の空が信じられないくらいだった。でも、次第に赤みが差して、明け方の空もクリアになってきた。
開けてくる空の色は、形容の言葉をしらない。美しさに持っているすべての言葉さえも失ってしまうくらい、だと感じるときがある。その実、あまり言葉も知らないのだけれど・・・朝の幕開けはきわめて穏やかなのに。
散歩を兼ねて行く近所のお寺さんにある観音様のお姿は、まさに開けてくる朝の色を連想させる。穏やかな表情の中に、強さと優しさが混在して、いつまでも、いつまでも見ていたくなる。
朝、そのお顔を表現したくなった。実は、自分はバレエを長いこと練習してきた。昨年からどうにも時間のやりくりができなくなって、やめてしまったけれど、あのお顔を表現するダンスがしたくて、たまらなかった。
音楽が頭にやってきて、動き出してみた。違う、違う・・・というような単純なひらめきにすぎないけれど、今はそのお顔の表情を動きで表現したくて、少しの時間を費やしている。
なにもかも忘れる、幸福な時間だ。

# by sakura_mohila | 2019-11-14 11:14 | Comments(0)  

さいたま夢KANA音楽祭2019

昨日は2019年のさいたま夢KANA音楽祭に行ってきました。
この音楽祭のチャリティ部門が現在、サクラモヒラの「Saitama Yume Kana Schalorship」となり、現在は二人の大学生の奨学金になっています。そして三人目を検討中です。
現地でこの奨学金制度の面倒をみてくれているのが、昔は二人の大学生、アムジャドとモニールです。彼らは、サクラモヒラから奨学金を受け大学を卒業しました。現在、カレッジの教師です。
現在の奨学生は、アリフル君とサビンナハールさんです。
アリフル君はダッカの大学で電気技術を、サビンナハールさんはナラヤンプール村から通いで、イスラム文化の勉強をしています。
アリフル君は、ダッカに拠点があることから、サクラモヒラのダッカのオフィスにも顔を出してくれます。9月に行った時には、村の実家の庭に実った、サトウキビ、バナナ、グアヴァ、レモンをいっぱいに抱えて、会いにきてくれました。お母さんが持たせてくれたのだそうです。「ハハがヨロシクイッテイマシタ」と言っていました。彼の細胞の一つ、一つが踊り、歌っているようでした。
日本が夢になり、奨学金をもらい始めてから日本語を学び始めましたが、今回、夢KANAのスクリーンで日本語で挨拶していました。
サビンナハールさんも、「コンニチハ」「ヨロシクオネガイシマス」「アリガトウゴザイマシタ」の日本語を覚えました。彼女の環境では、日本語を学ぶことは非常に難しいです。
彼女はお父さんもイスラム学を田舎で教えていて、文化の高い家庭ながら、清貧の生活です。ダッカにも一人で出てきたことがなく、お父さんが付き添ってきました(玄関先で、モニール君に娘さんを託すと返っていきましたが)携帯電話もお父さんが一台持っているだけです。
しかし彼女は、「深窓のお嬢様」の雰囲気です。世間ずれがなくて、いかにもすがすがしい。お家で大切に教育されているという雰囲気の女性です。
サクラモヒラのダッカのオフィスにいる間の30分ほどの間に、何度も、何度も、「一生懸命勉強します」と言って、モニール君に連れられて帰っていきました。
2度目に、お金を渡す時がきています。また彼女と会えることが楽しみです。
同時に、彼女が奨学金を得、日本人と接触することでどのように革って行くのか、楽しみです。

サクラモヒラの女性たちが変わったように、彼女も変わっていくことでしょう。
違いは、サクラモヒラの女性たちは、国のp独立直後の貧しい時に育ち教育を受ける機会が乏しかったのですが、彼女は高等教育を受けています。

どのように、ナラヤンプール村という貧しい地域で、夢KANAの組織が育って行くのか、夢を見ることにしようと思います。
多くの方たちが、昨日のコンサートでは募金活動をしてくださっていました。
村の人たちに、しっかりと伝えようと思っています。


# by sakura_mohila | 2019-11-11 11:56 | Comments(0)  

ニーチェ 樫野紀元先生「人間学」講座11月

樫野先生の人間学講座、6回目である11月はニーチェでした。
副題は、「偉人・聖人の生き方に学ぶ」ですが、樫野先生のクラスは、個々の偉人を掘り下げ、その人が示してくれた生き方や言葉から、自分の生き方の指針を見つけるということを旨としています。

ニーチェというと、名前は知っているけれど、彼の哲学の内容も学校で教わった程度だし・・・要するにテスト用の知識しかなかったのですが、今回お話を伺って、もっと知りたくなりました。
彼は、超天才で、24歳にして、バーゼル大学の教授になりますが、10年くらいで退職します。苦労や難苦の末に彼がいきついた結論は、「生の高揚を実現するためにポジティブにがんばる」という姿勢です。彼は、「超人」「末人」という言葉を使って、ポジティブとその逆の表現を試みました。

ドイツ語でどの言葉を選んだのか原文にあたっていないのですが、日本での訳語は「超人」「末人」となっています。訳された当時、ピッタリする言葉が見当たらずに、それでも苦労してそのような訳語に落ちついたのかもしれません。
そもそも日本語に訳された当時、妥当な言葉があったなら、ニーチェ哲学もそれほど読みにくい本にはならなかったかもしれません。
彼のことをウェブの項目であたったら、プロイセンの生まれとありました。今や消滅したプロイセン王国のことなども想いながら、単純におもしろかったです。
それにもまして、出席者の方々は、このような本も読んでおられ、知識も豊富で、樫野先生の言葉が骨と肉なら、それにファッショナブルな服を着せるというような感じに意見や見解が行きかい、いつも楽しいクラスです。

今月は先生のご都合で、第1土曜日でしたが、来月からはいつものように第2土曜日、10時半からとなります。
どなたでも参加できます。
参加費は¥2000.お茶とお菓子がでます

# by sakura_mohila | 2019-11-04 12:10 | Comments(0)  

文化の日

快晴ではないにしても、泣き顔ではなお文化の日です。
一宮通りの商店街のお掃除の日、毎月第1日曜日の商店街通りの清掃日です。冬用の花の植え替えは都合により延期。
お掃除の作業を終えて、屋上の緑化・はちみつプロジェクトのティパーティに参加してきました。
みつばちから失敬した蜂蜜のおいしいこと!
怒りもいらいらも消えて、豊かな気持ちになります。
美しいもの、おいしいもの、心地よいものを大切にしたい、と改めて思いました。

文化の日が特別に心に残るのは、サクラモヒラがギャラリーをオープンして、1年を迎えたからです。

お陰様で、1年。やっと入り口から1歩登りましたが、多くの方々の応援、ありがとうございます。
バングラデシュの村や、職人」さんたちとの関わりも含め、感謝にたえません。

また、がんばりますね!

# by sakura_mohila | 2019-11-03 10:47 | Comments(0)  

良寛と親鸞

11月に入りました。
「致知」という雑誌の11月号を読んでいたら、良寛さんと親鸞さんのことが対談になっていました。対談をしていたのは、青木新門という作家の方と、曹洞宗の僧侶でいらっしゃる中野東禅さんです。
親しそうに書きましたが、存じ上げているのはそれぞれにお名前だけです。

親鸞も良寛さんも、親戚でも友だちでもなく、その昔、世界史の中で習い、お名前と1行くらいの行跡しか知りません。
しかし、対談の中の言葉を通して、もっと、もっとしりたくなりました。
テーマは、「語らざれば愁なきに似たり」
良寛さんも親鸞さんも、その苦労のほどは言葉に尽くせないほどの苦しみの幼少期を経て、人となりを為されたのですが、まさに「語らざれば愁なきに似たり」を体言しておられます。
語らなくても喜怒哀楽が一目瞭然はダメカ!(これは自分)
お二人の生きた時代は違うのですが、時々、それぞれの社会の状況や生活のスタイルなどを想像しては、数百年の日々の流れを楽しみます。

ここにきて、忙しかったこともあって、ピリピリとした態度を他人様にさえもとっていたことを、深く(しかし一時的に)反省しました。しかしながら、数百年の時を遡ってさえ、人間は同じである、という事実はとても感動します。
少々の愁に打ちひしがれて、悲劇のヒロインぶるのは、やめたい、とここに宣言いたします。
ここだけのハナシだけど・・・

# by sakura_mohila | 2019-11-01 16:00 | Comments(0)  

樫野先生の人間工学講座10月

毎月第2土曜日の午前中は樫野紀元先生の人間学講座のクラスで、10月は「徳川綱吉」でした。
綱吉と言えば、中学校の歴史の時間に「犬公方」として、人間よりもお犬様の政治をしたお殿様として習い、狂った殿様だとばかり信じていました。
ところが、彼は戦いが終わった世の中の中で、文化を大切にし、徳を尊び、学問を重んじて、その結果、人によい政治をしたお殿様であったのです。
その結果、後に識字率を高くすることを招いたということもあったようです。
当時、社会の中で犬がどれほどの地位をしめていたものやら。また綱吉公がどれほどの影響力を以っていたのか、想像を広げてみるけれど、どこまで想像があたっているものやら・・・

人間は、いつの時も本質は変わることがなく、彼の時代のアートなども興味がそそられます。
手仕事の美しいもの・・・ほんとにこれは、時代に関係なく、人間が造った美しいものだと想うのです。

11月の樫野先生のクラスは、2日です。10時半からです。参加費は¥2000。お茶とお菓子付きです。

# by sakura_mohila | 2019-10-31 11:05 | Comments(0)  

朝の日課

近頃、近くのお寺さんへ早足散歩をしているのだが、その道で、ある和菓子やさんの前を通り過ぎる。というか、その和菓子やさんがある道を通る。
夏は朝の6時前にすでに打ち水がしてある。古い和菓子やさんで、いかにも若い人が運営しているのではないことが見て取れる外構えである。
6時にはすでに営業を開始しているから、ある朝お金を持って行って、6時半にお饅頭のパックを一つ買った。
肌寒さが混じり始めた今朝、その前を通ったら、さすがに打ち水はしていないまでも、おじいさんが箒で道路をはいていた。
腰のまがった小さなおじいさん。「おはようございます」と言ったら、「おはようございます。まいどありがとうさん」という返事がかえってきた。一回しか買ったことがないけれど。
こんな雰囲気では、また買い物がしたくなる。
このお寺さん界隈、神社界隈には、古きよき時代の風習がまだ残っている。

お寺さんの境内に入っても、ボランティアで、境内やホールをきれいにしている人がいる。嬉々としてお寺さんに来る人たちを迎えておられるその姿をみると、ふと安心して、今朝はちょっとお話をしてきてしまった。
話を交わしながら、ホールにおられる如来様のお顔を見ていた。このお寺さんにはほんとに美しい物が揃っていて、この如来様のお顔も、強そうでありながらやさしい、という美しさである。
緒方貞子先生を思い出しながら、やはりこの場所も好きである、と想った。

日々の雑多なことを克服できる朝のスタートである。



# by sakura_mohila | 2019-10-31 10:39 | Comments(0)