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習慣

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天気予報に反して晴れ間があるではないか。
庭仕事もしたけれど、香文木さんの染場で、カディのスカートやドレスの藍染めをしてきた(作業はスタッフです)
段染めで、なかなかおしゃれに染まりました。
来週に売り出します。
染めを教えてくださる先生も若返り、作業にあたるサクラモヒラのスタッフも若返りました。これはなかなかいいことです。こんなふうに、移行していくのだろうか、とおぼろげな姿を描いています。
省みれば、サクラモヒラも、村の小学校の話を始めてから、もうすぐ30年になろうとしています。そろそろ変わっても当たり前という年月が過ぎたのでしょうか。
始めたばかりの頃、あるバングラデシュの婦人と知り合いになりました。ダッカに行くたびの彼女のお店に立ち寄っては、当時ダッカでさえもめずらしいコーフィーをいただきながら、いろいろな話をしました。彼女は英国人と結婚しておられて、英国の文化の中で生きる人でした。
安い染料が我が物顔に入り込んで、伝統としてあった自然染料の文化を破壊してしまったり、手仕事の質が悪くなることも嘆いて、植物の染めを復活させたり、ジャムダニのモチーフパターンを復元したりと、祖国の失われた文化の復興に尽くしていました。
ある時、彼女が嘆きました。「手織りの職人が来て、店員たちは忙しいので、ほったらかしのまま半日もただ待っている。その間、作業をしたらば、ずっと能率があがるのに。しかも職人さんが、待たされていることに何も言わずにただ待っているだけだ。」
どれだけこの状況が改善されたのだろうか。
サクラモヒラでも、そのような問題に悩まされる。こちらは日本人だから、やたら待たせることなどはしないけれど、相手方はそのやり方に馴染みがない。
社会の変化に対応できずに、現実の問題として賃金をあげてもらいたい、ということだけが前面に出てくるのだ。
間に立つシラーズさんは、手を焼いているのだ。


# by sakura_mohila | 2022-05-12 17:30 | Comments(0)  

ばら

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あちらこちらのお庭にばらが美しい。あの色、あの香・・・春のばらと冬のばらはなぜこんなにも違うのだろうか?
バングラデシュのばらはほんとにきれいだ。かの地の冬に咲き誇るのだけれど。
ダッカの植物園で見たバラ園の光景は今でも時々おもいだすほどに、美しかった。
ばらが美しいとかではなく、光景が美しかった。
何人かの園芸の職人さんたちがばらの手入れをしていた。動くリズムが、ワルツをおどっているように、ゆっくりと夕方の陽の強さとハーモニーを保っている。あの喧噪のダッカにあって、その植物園は緑豊かな静けさの中にあり、霞の中を動いているように見えた。
職人さんたちも、夕日の中で静かに微笑んでいるように見えた。
あの光景、もう一度見たいと思うのに、ダッカに行くといつも時間に追われて、現実的に動いている。もったいないねえ。


# by sakura_mohila | 2022-05-11 17:06 | Comments(0)  

ことば

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朝の散歩の道から、筍が見える。あちらにも、こちらにも、にょきにょき顔を出している。雨後の筍。「筍は縁起物なんですよ」毎朝散歩の道ですれちがう婦人が言った。
縁起がいいかどうかは置いといても、かわいらしい。でも食用ではないようだ。
「KITE RUNNER」(Khaled Hosseni)という本を読み始めた。しなければならないことをせずして、読み始めたのだが、しなければならないことはもっと、もっと後回しになりそうだ(どうしよう!)
著者は、アフガニスタン生まれ。現在はカリフォルニアに住む内科医である。著者も本も知らなかったが、最近入会した英国発のReading Roomの課題本である。
幼少の頃に育ったカブールの頃の背景がダッカと似ている。イスラムの国の造りが共通しているのだろうか。
ダッカに通い始めた頃、いろいろな人たちからお誘いを受けて、いろいろな家に呼んでいただいたことを思い出した。その家の造りを思い出す。お庭が広くて、パーティのために一団の料理人が出張料理に来ていたことも思い出す。生け簀があって、そこから魚を調達していたことも、印象に強く残っている。そして著者は、そのような背景で育った少年である。友は、敷地に住み、手伝いをしているお父さんと子どもだが、この家族は差別される民族に属していて、子どもは兎唇である。
そこで展開する生活は、両者ともに、違う理由で母親を失っているが、おさな馴染みの中なのだ。
淡々と進むパージは、平易な表現と言葉である。だが、そのページが作るのは馥郁とした人間の生活の豊かさである。
読み進むほどに心地よさがあって、いつまでも引き込まれる。
やらねばならぬことは、結局、忘れてしまうんだろうか!?

# by sakura_mohila | 2022-05-10 14:16 | Comments(0)  

ぼたん

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風の強い朝だった。神社で、背後から声をかけられて、この白いボタンを頂戴した。
神社の境内に今、たくさんのボタンが並んでいる。風にせっかくのはなびらが散ってしまうので、切って、神社ギフトにしたそうだ。
差し出したのは、植木屋さん。見た感じも、いかにも植木屋さん。
昨日、散歩の時に会ったことを覚えていたのは、彼がいかにも筋金入りの植木職人に見えて、神社の樹を扱う人として、ぴったりの印象があったからだ。
「あんな職人さんはあまりみかけなくなったなあ」と思いつつ、昨日は通り過ぎていたのに、今日、まっ白なぼたんをいただくことになるとはねえ!
毎朝、耳をぴったりとあてて、水を吸い上げる音を聞くのを楽しみにしている木がある。その上にボタンをのせてみたりして・・・
fbを見ていたら、バングラデシュの農村の女の子が、貧乏で学校に通えない話がポップアップで、現れた。動画はよくできている。
しかし私は今や違和感を持った。
もし、人としての関わりがあったなら、ただお金をあげたり、保護したりはしないように思うのだ。かの国はもはや世界の最貧国ではなくなっている。皆、もらうよりは、精一杯に勉強したり、働いたりしたいのだ。
施しからは、何も生まれないし、何も考えずに援助を、というスタイルはむ過去のやり方のように思えるのだ。
少なくとも、私は自分の体験からそう言える。過去の例にそのまま従うことは、もう時代遅れであるように見えてしかたがない。


# by sakura_mohila | 2022-05-08 12:12 | Comments(0)  

線路沿いの路肩

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30分ほど歩くけれど、線路沿いの道がある。線路に沿ったその道に、何本か野ばらが今、花盛りだ。初めは誰かが適当に植えたものかと思ったが、5か所くらいに植えられている。藤の木もある。まだ小さいけれど。だれかが、手入れをしているのかもしれない。
しかし、私は野ばらに集まるみつばちを見るのが大好きなのだ。そこで、伸びすぎた野ばらの枝を少しいただいてきてしまったよ(ここだけの話だけれど)。根がでるだろうか?
夢は、大きくふくらむ時がある。今は小さなサクラモヒラのギャラリーだが、もっと、もっと充実させたい。ダッカの職人さんたち、村のサクラモヒラの女性たち、日本のスタッフ、その他サクラモヒラを気に入ってくださっている人たち・・・皆が誇りに思える場所とはどんな場所だろうか?
模索は続くだろう。しかしいつもきれいな花が咲いている場所でありますように。


# by sakura_mohila | 2022-05-07 14:48 | Comments(0)