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考えること2

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夏は、5時から6時まで、植物の世話をして、残った時間は本を読むことが楽しくなった。多少の雨でも、遂行。現在読み進めている本は「Empire of Cotton」というタイトルだ。まだそれほど読んだわけではないけれど、読み始めてよかった、とほんとに思っている。綿が産業化され始めて、雇用者と従業員の関係が顕在化するのだが、それは奴隷という存在をも作っていくことになる。綿はそれほど壮大な役目を背負って人間とともに生きてきた植物なのだ。綿のことを初めからもっと、もっとしりたくなった。綿の本場に長いことかかわっていながら、いったい何をしてきたのだろうと、自分のぼんやりだけが悔やまれる。
もう1つ、心を捉えるのは、雇用者と従業員という新しい関係だ。現在の雇用者は権利を少しずつ獲得し、自由を謳歌しているけれど、初めは、まさに「奴隷」の状況なのだ。それでも、他に生きる術のない人たちは雇用してもらいたくて、雇用者になびいてゆく。雇用者は、何を思っていたのだろうか?雇用を求めえる人たちも何を思っていたのだろうか?
そして興味深いことに、綿を初め、さとう、スパイス、藍、茶と世界に大きな影響を与えてきたものは、どれも生産地はアジア、アフリカ、中央アメリカなどで、それを動かして中心になっていたのは、ヨーロッパ人である。
初めにバングラデシュに行った数年間に見た、住み込みで働く子どもたちのことを、いやおうなく思い出してしまった。いろいろな場面に遭遇したけれど、その時々で、雇用する側とされる側の心はどのようであろうか?とても気になる。


# by sakura_mohila | 2021-06-05 12:14 | Comments(0)  

考えること

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ついに6月!夏が来るんだ!ひまわりや朝顔や夾竹桃や鳳仙花の時だね。
いつものように流れるラジオから「ジェノサイド」という言葉が聞こえてきた。話しておられるのは、大学教授で、その道を研究しておられる方らしい。「ジェノサイド」は日本語に訳すと集団虐殺とかいう訳語がついて、あまりにも刺激的なので、「ジェノサイド」と英語の言葉を使ったのかもしれない。ちょっと目にやさしい。その教授も、静かなお話をなさる方で、とても聞きやすかった。しかし、英語が母国語の人にとっては、「集団虐殺」という意味なのだ。
他の言葉を使って和らげるのはいいかもしれないけれど、本来の意味が分からなくなるのではないかしら?特に社会の問題として提起するときには、どうだろう?
外国語を簡単に使ってしまうことの意味を少し考えた。


# by sakura_mohila | 2021-06-04 12:37 | Comments(0)  

生き物

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桔梗が小さな花芽をつけ始めて楽しみにしていたら、なんと、その小さな蕾も葉っぱもきれいに食べられている。薔薇の葉を見たらちいさな毛虫が葉のまわりにびっしりくっついてうようよと葉を食べている。みんな静かに、生き物の生活を展開しているんだねえ。見えるだけでも、特に今の季節には、改めて気がつく生命があるのに、見えないものまで数えたら、いくつの生命が同時進行で生の営みを進めているのだろうか。想像しただけで、わくわくとした気分になってくる。ウィルスだって、その1つにちがいない。
そのように考えたら、むやみに殺虫剤や消毒液を撒き散らすのも考える。
何年か前、ダッカの郊外で見た光景を忘れることができない。マンゴウの木の林があった。古いマンゴウの木を幹も太くて、ある種の雰囲気があるのだが、その林を見ていたら、まるでピーターパンの中に出てくるようなワニ(のような)動物がのっしのっしとマンゴウの木々の間を散歩している。大きな茶色の爬虫類だ。草食系の恐竜があるいているかのような光景であった。自分はかなり動揺しているのに、まわりの人たちも、もっとそばにいる人たちもただ見ている。
やもりはどこの家でも結構見るが、大家さんは「やもりはなにも害がないからいてもいいでしょう」と共生をあたりまえにとらえている。
ある時、村に向かう道で、真っ黒ないのししがごみをあさっていた。日本のテレビで大騒ぎしながら見るようなやさしいものじゃない。真っ黒でしかも大きい。車の中から見たら、目があったが、獰猛そうな目だ。牙もけっこうするどいではないか。怖いよぉ~!しかしまわりのだれもビビッていない。ふつうの人がいるようにして、自分は自分の道を行っている。
ダッカの動物園には、真っ白な孔雀がいたりするのだ。こんなのが、生活の中に自然にいたらどんなにいいだろう!


# by sakura_mohila | 2021-05-31 15:36 | Comments(0)  

今年の5月

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今年の5月は、5月っぽくなくて、なんだか物足りない5月だったかもしれない。気がつけば、もう終わろうとしている。ほんとは、いちばん浮き立つはずの時なのに。
振り返れば、押し寄せるいろいろなことに対処していた。対処と言っても、いつも脳裏にあったのは、これからをどのように運営していったらよいか、ということばかりだ。
バングラデシュの村の女性たちは、潜在的に運営をまだ頼っている。だから先のことまでを考えていない。この部分をどうするか。
彼女たちとは時々メッセンジャーを使って、コミュニュケイションを取るが、こちらが考えるレベルでは考えてくれていない。と、言うか、考えられない、のかもしれない。それは日本のスタッフも同じことのように思われる。経営する、というレベルでは、日本のスタッフも考えていない。
やはり、自分でやっていくしかないねえ。
でも、一生懸命やっていれば、何がどうなるか、誰がしるだろう。まずは自分!


# by sakura_mohila | 2021-05-30 12:01 | Comments(0)  

基本の生活

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プランターの中で、なにかがにょきっと芽を出していた。なんだろう。草ではなくて木のような芽だ。しかし、果物を食べたら、とりあえず種を土に埋めるので、いまどきはいろいろなものが芽をだしてくる。気がつけば、メロンが芽を出し、花をいくつもつけている。昨年、遮光カーテンとして植えた苦瓜も芽をだしている。切り取ったなでしこも春に芽を出して、花を咲かせている。ピンクが白に変った株もある。変異株だろうか。
ダッカに借りている家は広い。10日間ほどの生活でも、緑がほしいところだ。しかし日本にいる間は植物の面倒を見てくれる人がいない。したがって、滞在中の楽しみのために植物は持てないのだ。いろいろな果物が芽を出してたのしかろうねえ。
村の女性たちの庭にはいろいろな果物の木がある。マンゴウ、グアバ、バナナ、ぺぺ・・・こんな生活、実は人間の基本の生活だと思う時がある。
庭やプランターから、少しの野菜を収穫して、食卓にのせる時、味以外の喜びがそこに加わることを思えば、基本的な喜びに違いない。考えることも地に足がついた堅実性を持ちそうに思うのだが・・・
プランター

# by sakura_mohila | 2021-05-28 16:24 | Comments(0)