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旅行

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ギャラリーを閉めた頃から降り始めた大きな雨。少し本屋さんで時間をやり過ごすも、小降りになったと思った時に飛び出したら、また大きな雨にかわって、どぶねずみのように濡れ鼠。しかし夏の季節で幸いでした。
あちこちのお庭にばらが咲き始めて、夏が過ぎて行っているのだと、感じています。朝晩の風は、はっきりと違っているけれど、まだ9月に入って1週間も過ぎていない、と気がつきました。今年はどんな秋が来るのやら・・・
3月1日にダッカから帰国し、それ以来、ダッカには行っていないのですが、一番気になるのは、サクラモヒラに働く人たちです。サクラモヒラの組織は小さいので、資金もちいさいまま、皆がいつも通りに働ける準備も気になりながらできていないのでした。
しかし、これを機に、日本側も、バングラデシュの側も、どんどん自立を進めたい、と考えています。
自分のブループリントもはっきりしていたわけではないけれど、予期せぬ試練により、はっきりと見えてくることがあるのだ、と感じています。
新コロナが、パンデミックとして相手方でも共通の禍を生きているので、話を通じやすく、どちらにとっても、話を進める要因ができました。好都合ななりゆくを大いに利用して、育てることを育てよう、という気がしています。




# by sakura_mohila | 2020-09-05 12:09 | Comments(0)  

へたかわいい

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9月の今頃になると、朝の5時に我が家の窓が朝焼け色になる。どんな絵の具を使っても、あの色は再現ができないし、写真に写したところで、あの柔らかさは映らない。アートではなく、自然なのだ。ほんとにきれいで、つい窓を開けると、そこに広がるのは、明け行くばかりの若い青と天使が運んだような雲が広がっている。ただきれいだ。忙しいことも忘れて、ぼんやりと見入ってしまう。(だからダメなんだよ!)
バングラデシュのナラヤンプール村のサクラモヒラの女性たちとかかわるようになって、初めて知った言葉がある。「へたかわいい」技術が未熟だけれど、それがかわいさを創り出している、という意味であろうか。
村の女性たちの中でも、若い女性たちが創る物は、へたかわいい。かつてクルチャンがへたかわいいものしか創れなかった。しかし急に実力がついて、彼女が作るものは今やへたかわいいではない。貫禄のある製品である。若い娘たちが学費の足しにするために、コースターをたくさん作ってきた。ほんとにへただ。かわいくない!と思っていたら、壊れペンギン、たぬきかきつねがわからない小動物などがモチーフになったコースターが爆売れである。「カワイイ!!」と言って買ってくださるのだ。彼女たちがどうぞじょうずになりませんように!!!???


# by sakura_mohila | 2020-09-04 12:24 | Comments(0)  

9月の詩

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9月に入りました。今年の夏は季節を楽しむというよりは、コロナに振り回されて、現実に対処している感が強く、振り返ってみたら、過ぎた夏がもったいない、という気持ちになります。
それでも、暑い日に庭の草取りをした午前中が懐かしく、夏の思い出になりそうです。思い出にはまだならないまでも、今年の夏は家にいることが多く、本をいくらかはよんだかなあ。いつもは時間に追われているので、居眠りをしていてさえ、本を開いたことが嬉しい時間でした。
ところで、長い年月の間には、バングラデシュの家も何軒かはお邪魔したけれど、あまり本のある家には、行き当たらなかったように思います。本のある家が驚きだったような。
本を読むといいうよりは、日本製の大きなテレビのスクリーンがあって、それを楽しむことが現地風かもしれません。しかし、今や日本製のテレビなど、買おうとしても売っていない現状。お金のある人たちは、コンピューターも、テレビも冷蔵庫も、韓国製、中国製、北欧製を使っていて、現地の購買能力はぐんぐん高くなっているのに、日本製がマーケットに見当たらない日本人としての寂しさ、です。
そうではあるけれど、セカンドハンドの本のマーケットは大きくて、やはりどこかに本はあるのでしょうか。
村の子どもたちはどうしているのだろう。
こんな時、継続的な支援をやめたことが悔やまれる。何年間か、買い与えた本はどうしたろうか。何人がそれらの本をよんだのだろうか。

こんなふうに考えたとしても、離れていて、部分的な関りしかしていないのだから、なにもかも限りがあって、やはり、皆、どうしているだろう、と思うばかりである。


# by sakura_mohila | 2020-09-03 17:25 | Comments(0)  

Buhenさんの端材の仕事

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Buhenさんとは、もう長いお付き合いになる。ほんとのお名前は佐藤さんだが、彼と知り合ったのは、何かのイベントの会場である。どこであるか、どうやって知り合うようになったのかも、すべて忘れてしまった。しかし、ほそぼそとした賀状だけのお付き合いが続き、現在、ギャラリーサクラモヒラに彼の秩父の端材で作った木製品を置かせていただいている。ワークショップも人気で土曜日のクラスは埋まってゆく。製品にはBuhenさんの優しさが滲みでている。
無駄に捨てられる端材を利用しての、フレーム、時計、名刺入れ・・・などであるが、地元の山桜、サクラ、ブな、けやきなど、木の自然の感触が五感にやさしい。無理を言って、フレームやお盆などもお願いしたりして・・・
ダッカに借りている仕事場には、同じように木の家具が備えられている。幸運にもこれを作った当時は円の価値が高く、テーブル、ベッド、仕事机、椅子などは全部地元の木材で作ってもらった。しかし木材が違いに違う。南国の木材なのに、日本の山で育った木材が持つ柔らかさがない。おまけに、仕上げはがちがちにニスを塗りまくるのだ。
お金があったり、時間があったりすれば、もっと違った素材が得られたかもしれない。しかし10日間の滞在中にすべてを片付けようとするから、これもがさつな仕事の注文の仕方である。
だが、自然素材の家具はほっとできて、ダッカの仕事場は好きな場所になっている。
たいへんなことはいろいろあるけれど、大変でもこうして好きなことがひろがったのだから、人生の大変な贅沢をしているようだ、と感じる時がある。
だから、四の五の言わずに、精一杯のことをしようね!


# by sakura_mohila | 2020-09-02 17:09 | Comments(0)  

北原白秋

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日の入りが早くなった、と実感するようになった。日の出も、ゆっくりめになった。こうなると、やたら夏が恋しくなってくるのだ。ひところ弱っていた朝顔がまた元気を取り戻してたくさん花をつけるようになった。でも秋の花だから、少し小ぶりで、色も弱い。ばらが蕾を持ち始めた。ほんとに正直に、自然の一部になっている。
近頃、よく北原白秋の詩を思い出す。
自分のテリトリーの中にからたちの生垣があって、そのからたちを見ると、つい白秋の「からたち」の詩を想う。ついでのように、「いつか来た道」の詩を想う。どれも平易な言葉でありながら、どれも詩情に満ちて、言葉を口に出したくなってしまうのだ。
昨日、偶然のように、今まで知らなかった白秋の「落葉松」の詩に出会った。そしてその平易な局地の言葉が織り成す美しさに心が満足した。
「からまつのはやしをすぎて
からまつをしみじみみき
からまつはさびしかりけり
たびゆくはさびしかりけり」
「山川にやまがはのおと
からまつにからまつのかぜ」
こんなふうに言葉をあやつれるすばらしさ。この感性は、羨ましい限りだ。すばらしい場面に遭遇して、言葉がでてこない、という苛立ちを感じる日ごろである。自然体で、まねもない、そんな言葉をだしつづけたい、と羨望するのみである。


# by sakura_mohila | 2020-08-31 17:31 | Comments(0)