
風の強い朝だった。神社で、背後から声をかけられて、この白いボタンを頂戴した。
神社の境内に今、たくさんのボタンが並んでいる。風にせっかくのはなびらが散ってしまうので、切って、神社ギフトにしたそうだ。差し出したのは、植木屋さん。見た感じも、いかにも植木屋さん。昨日、散歩の時に会ったことを覚えていたのは、彼がいかにも筋金入りの植木職人に見えて、神社の樹を扱う人として、ぴったりの印象があったからだ。「あんな職人さんはあまりみかけなくなったなあ」と思いつつ、昨日は通り過ぎていたのに、今日、まっ白なぼたんをいただくことになるとはねえ!毎朝、耳をぴったりとあてて、水を吸い上げる音を聞くのを楽しみにしている木がある。その上にボタンをのせてみたりして・・・fbを見ていたら、バングラデシュの農村の女の子が、貧乏で学校に通えない話がポップアップで、現れた。動画はよくできている。しかし私は今や違和感を持った。もし、人としての関わりがあったなら、ただお金をあげたり、保護したりはしないように思うのだ。かの国はもはや世界の最貧国ではなくなっている。皆、もらうよりは、精一杯に勉強したり、働いたりしたいのだ。施しからは、何も生まれないし、何も考えずに援助を、というスタイルはむ過去のやり方のように思えるのだ。少なくとも、私は自分の体験からそう言える。過去の例にそのまま従うことは、もう時代遅れであるように見えてしかたがない。
by sakura_mohila
| 2022-05-08 12:12
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