良寛と親鸞
2019年 11月 01日
「致知」という雑誌の11月号を読んでいたら、良寛さんと親鸞さんのことが対談になっていました。対談をしていたのは、青木新門という作家の方と、曹洞宗の僧侶でいらっしゃる中野東禅さんです。
親しそうに書きましたが、存じ上げているのはそれぞれにお名前だけです。
親鸞も良寛さんも、親戚でも友だちでもなく、その昔、世界史の中で習い、お名前と1行くらいの行跡しか知りません。
しかし、対談の中の言葉を通して、もっと、もっとしりたくなりました。
テーマは、「語らざれば愁なきに似たり」
良寛さんも親鸞さんも、その苦労のほどは言葉に尽くせないほどの苦しみの幼少期を経て、人となりを為されたのですが、まさに「語らざれば愁なきに似たり」を体言しておられます。
語らなくても喜怒哀楽が一目瞭然はダメカ!(これは自分)
お二人の生きた時代は違うのですが、時々、それぞれの社会の状況や生活のスタイルなどを想像しては、数百年の日々の流れを楽しみます。
ここにきて、忙しかったこともあって、ピリピリとした態度を他人様にさえもとっていたことを、深く(しかし一時的に)反省しました。しかしながら、数百年の時を遡ってさえ、人間は同じである、という事実はとても感動します。
少々の愁に打ちひしがれて、悲劇のヒロインぶるのは、やめたい、とここに宣言いたします。
ここだけのハナシだけど・・・
by sakura_mohila | 2019-11-01 16:00 | Comments(0)
