慈しむ

毎月第1日曜日は8時から、通りの商店街主催の清掃活動です。30分間ですが、参加者は拾ったごみの袋を持って、挨拶をかわします。なんでもないことのようですが、この交流の数分間は結構楽しい時間となっています。その中で、一人の、強面の方が挨拶しました。
「今年もゴミ拾い運動に参加します。人間を慈しむことは大切だと物の本に書いてありました。しかも、一人で慈しむのではなく、人と一緒に慈しむことが大切です、と。だからこの清掃活動は続けたいと思うのです」
賛同の頷きやパチパチ。この頃になると、朝の寒さが気持ちのよい寒さに変わっています。
しかし参加者の中には、あちこちのゴミ拾い運動に何年も継続して参加しておられる方がいて、今週はここ、来週はあちら、というふうに、日曜日の早朝の習慣となっておられるようです。社会で成功したポジションにおられる方も多くて、人の姿の背後が見える時もあります。同時に、ゴミを捨てて行く人もなんとなく見えます。「どこの誰かは知らないけれど」、その人となりは見えてしまうのです。
途上国では、このような活動はあるのでしょうか。自分が関わった小さな世界だけで考えるに、人の興味の対象はもっと現実的であるように見えます。上層部の人たちは、「貧しい人のために」とモーニング・コーヒーの会を開いて、お茶会はするけれど、自分の手はよごさないです。
いろいろな人たちのいろいろな姿を見ながら、果たして、サクラモヒラのアイデンティティーを築くことができるのだろうか、と、結局はそこに落ちていくのです。

by sakura_mohila | 2019-01-06 15:15 | Comments(0)  

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