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ビザの申請

やっと冬らしい寒さがきている。なんだかほっとするね。
2月、Galleryが4月15日までお休みの時、スタッフ全員で初めてダッカのプロジェクトにいくのだが、その際、ビザの申請が必要になる。
なんと先週の月曜日にはじめたのだが、うまくコンピューターのページをすすめることができない。4ページ目まではスムーズに入力できるのに、その先に進むことができない。何度も、何度も同じことを繰り返してその日はあきらめることにした。次の日も、次の日も同じ場所まできて立ち往生。思い余って、大使館に電話をすることにした。以前も同じように、申請が送れないことがあり電話したら、「システムが壊れていてできないんです」その時は大使館側の問題ということを知らずに毎日、毎日1週間同じ作業を続けたのだ。それいらい、よもや、という可能性を捨てたことがない。
今回は自分のコンピューターに問題があるのかと思い、3台のコンピューターを使ってやってみたが、うまくいかず、大元の問題だと結論したのだ。
電話は簡単に通じて、ビザ申請の怒りがやわらいだ。音声案内で、ベンガル語は1を、英語は2を、日本語は3をおしてください、と言っている。気分をよくして3をおしたら、電話はぷつりと切れた。もう一度、もう一度と結局は3回試したが、言語を選ぶときれてしまうのだ。こんどは新たな怒りではなく、思わず声をだして笑ってしまったよ!いかにもバングラデシュではないか。

しかし、翌日、申請は当たり前に動いて、難なく完了しました。

初めてかの国を訪れるスタッフは、にこにこしている。にこにこしていた。にこにこし続けるでしょう(かな?)

# by sakura_mohila | 2020-01-25 17:16 | Comments(0)  

枇杷の花

枇杷の花が咲いている。オレンジ色の華やかな実に比して地味な花だ。
枇杷の種は律儀に発芽する。盆栽にしようと種を蒔いたら、ちゃんと発芽して、その挙句大きく、大きく鉢の中で育って、はてどうしたものだろう。しかしその木の枝の姿は美しく、ついつい、枇杷を食べるたびに種を埋め込んでしまうのだ。
花の色を見ていると、何年か前にある方が枇杷で木綿を染めて下さった、その色を思い出した。淡いピンクで、それは花の色だった。
まもなく実が実り、その木のてっぺんにとまるからすは、ほんとに絵になる様を作る。
子どもの頃、庭に古い枇杷の木があった。その木が大好きだったけれど、父が「枇杷は根を張るから、広い場所がいる」と言っていた。だからお寺さんによくあるのだろうか。しかし寺と枇杷はよく似合うコンビではないか。

枇杷は中国が原産らしい。そのようなことを知るたびに中国の大きさを思う。良くも悪くも、なんでもある国だ。そして、人間の歴史のどこかで、それが、海を越え、山を越えて、伝わるというのも、驚嘆に値する。

自分は28年前に、諮らずも、バングラデシュの小さな村に行き、そこをスタートとして、布に関するあれこれを見聞きするようになったのだけれど、そのような長い日々の連続は興味をそそられる。人間が場所を越えて関わり、時を越えてその関わりが展開する、というのも、考えれば、考えるほどに不思議でたまらない。
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# by sakura_mohila | 2020-01-24 11:53 | Comments(0)  

草木染

陽光が春を歌い始めました。家の中に差し込む光を見ると、この光のなかにしばらく佇んでいたい、と夢見るけれど、自分の仕事は、出勤時間に追われ、帰宅は夜だ。夜も何かの仕事に常に追われて、普通の現代日本人の生活をしている。健康に動くことができていることを感謝して、それ以上の望みを持つことはやめよう。
Margaretge Forsterというイギリスの作家が、ご自分の母、祖母の生活スタイルを振り返って書いた、歴史小説がある。その中で、あまり裕とは言えない状況に育ったお母さんがほぼ毎日日記に書いている。「安定した生活があるのだから、これ以上のことを望むのはやめて、感謝していきよう」そのお母さんは真面目に生きて、認知症になって、生涯を終えた。一方、お父さんは仕事を退いたあとも、したいように、不真面目に生きて、(と言っても、几帳面にルーティーンをこなさないというだけのことだが)最後まで人生を楽しんだ。
人にはそれぞれに与えられた役目があるのだろう。
自分にはどのような人生が与えられているのだろう?そんなこと、幕を引いてみないとわからないから、とにかく毎日、せっせと日々をいきることにしようか。
つい、つい、こんなつまらないことを考えてしまうのだけれど、実は涙がでるくらいに感動したことがある。木曜日に働きにでている、香文木という手打ちうどん/そばのレストランの奥様は、庭の植物を中心に染物の先生をしている。
お正月に着物を着る女性たちから注文があったそうだ。「半襟を地味に染めて」彼女は彼女たちの要望に応えるべく、お正月の二日から作業にかかった。最近、染物を始めたダンサーの息子さんをアシスタントにして・・・
何枚かの染め上がった半襟を見せていただいたが、言葉がでない。草木染というのは、これまでに美しいのだ。あたかも、春の暖かな光が自然の中にある花を包み込んでいるかのようであった。
もう一度見たい、と願望するけれど、1週間が過ぎた今日あたりは、すでに注文主に納品したかもしれない。

このようにきれいな物を日々の生活の中で見ていると、おしゃれなモールで売っている製品がどれも魅力をもたない。お金も持たないので、限りある消費生活なのだが、それを忘れても、買いたい、という気持ちになれないのだ。
マーガレット・フォースターのお母さんのように、欲しがらないために「自分にはこれもある、あれもある」とあるものを数えているのではなく、自分の着ているもののおぞましさにあれも買ったらよい、これも買ったらよい、と思うけれど、欲しくないよ!

# by sakura_mohila | 2020-01-23 11:20 | Comments(0)  

時々辛いこと

めったにないことだけれど、村の女性の中に、歩調の合わない女性がいた。彼女は初期のころから、ミシンの使い方を村の女性たちに教え、丁寧な縫い物を仕方を教えてくれた。彼女には。そのようなプライドがあったのだ。
何年かが経過した。彼女はサクラモヒラのリーダーさんとして、ダッカのオフィスに来るようになった。
初めは、皆、サクラモヒラ製品の初級者で、皆、真面目におそわるままに制作して、楽しそうに充実した何年かを過ごし、稼ぎ、ほんとに満ち足りた顔をしていた。
何年かが過ぎた。村の女性たちはそれぞれに能力を発揮し始め、すばらしい製品を作るようになった。彼女たちの創造性は鼻が開いたように、よい製品となった。
そこで、能力が分かれ始めた。歩調の合わないその女性は、創造力が乏しかった。彼女に割り当てられる仕事は針目がそろっていることを要求される仕事になり、他の女性たちと収入の差が出始めた。
実は、彼女が一番経済的に困窮していたのだ。しかし、彼女があせればあせるほど、高いお金が払えない仕事になった。
彼女はお金の前借を頼んできた。それは、断わった。だれにも断わるのだ。
半年間、こちらも悩んだが、「もうダッカに来なくていいです」ということになった。
肩の重荷がすーっと軽くなるのがわかった。しかし彼女の経済的困窮度はますばかり。彼女は息子さんを外国に出稼ぎにだすために、プロの金貸しからお金をかりたのだが、その話はだめになり、結局息子たちは地元の収入の低い仕事をして、皆で、借金の利子ばかりを返すことになった。返しても、返しても、借金が減らないと彼女は言っていた。
皮肉なことに、彼女をお断りしたことで、村の他の女性たちが危機感と緊張感を持ち、製品の質は、ぐんとよくなった。彼女は、仮に戻りたくても、もう、居場所を見つけることができないのだ。

それから何年かが過ぎて、彼女は家を売り払い、借金をきれいにして、故郷や親戚を頼ったが、結局うまく行かずに、今は、もとの自分の家に家賃を払ってすんでいるそうだ。サクラモヒラの仕事も村の中でこなしている。お買い物の袋を作ってくれているけれど、丁寧できれいな仕事だ。
このお買い物バッグは、初めは、村の女性にミシンを練習するための仕事であった。皆、ミシンができるようになり、今は最年長の彼女の占有仕事となっている。
その話を聞いて、なるべく、たくさんの注文をだしている現在である。

しかし、似たような話は、結構でてくるものだ。迎え入れることは、どちらもにこにこですむが、その反対は、どちらにとっても、苦しいことだと思う。
でも、そうしなければいけないことだって、ある。


# by sakura_mohila | 2020-01-17 17:27 | Comments(0)  

早春の兆しの中で

ほんとにまぶしい春の光。こんなに美しい空気と光があれば、寒い風でさえも好ましく思われてくるから、勝手なモンダ!
日経の伊集院静作の連載小説を面白く読んでいる。夏目金之助や正岡子規の友情のシーンなど、まるで実際のシーンを再現しているかのようだ。羨ましく感じるのは、彼らが時間をかけて、自分の気持ちを体験できる時間を持っていることだ。
勉学も半端ではないのに、生活する、ということが疎かになっていなくて、私はこのシーンを再現している作家がすばらしいと思うのだ。

メッセンジャーにテイラーから連絡が入っていた。
"Please, please....",と、懇願の言葉から始まっている。なんだろうとよく読んでみたら、「スタッフにお金を支払わなければいけないから、早く、早く支払いをしてください」と書いてある。
ダッカの支払いは、ある信用ある現地の人に任せてある。彼は正直が大好きで、彼がいればこそ現地でお金にかんしてのドサクサもなくなっている。
日本で電話があって、ダッカでカディを買いたいという。彼にコンタクトを撮ってください、ということで話しがついた。しかし私が彼に連絡を入れる前に、運転手を稼動してカディを取りにいかれたそうである。枯葉何も聞いていない事柄なので、どろぼう系の可能性を案じて剣もほろろな扱いで断わったそうだ。
相手方は怒って、「女性蔑視だ。彼には注意しろ。」と言って来た。怒りが収まらないらしく、がたがたいろいろ言ってきたけれど、その中に、私が連絡すると約束した時間以前に取りに行った、というコメントはなにもなく、そんな些細なことを言い訳していると、けんかになるからメールのやりとりはそのままにしておいた。
ほんとに彼はいい人だ。
態度はぶっきらぼうながら、正直であることを愛している。感謝、感謝。
その彼は、私から荷物が無事に届きましたという連絡がない限り、決してお金は渡さないのだ。

しかし、テーラーも、給料を払うために、がんばるのだ、と思うと人事ではなく、同情する。このテーラーは、「情をかけていてはビジネスはできない」と日ごろから、私が村の女性たちに取っている甘い態度に助言をくれる。
そうかもしれない。人件費は作る側にとっては、ほんとに大変なことだ。
同じ日に村の若い女性から。4通もメッセージが届いた。
私が甘い態度をとっている女性だが。つたない英語で届いている。「Hello, how r u?」同じ言葉も4通あれば、ただの「How are you?」の4倍の意味を伝えるのだ。


# by sakura_mohila | 2020-01-16 11:15 | Comments(0)  

やつで

結構風当たりと日当たりのよい場所にほおってあるシンビジウムが花芽を成長させています。
ほおりっぱなしなのに、律儀に毎年レモン色の花をつけます。見るたびに、もう少し愛情を注ごう、と反省ばかり。シンビジウムのみならず、まったく、反省ばかり。利口になることがないのだろうか、とつい悲観的になってしまうのですが、それさえもすぐに忘れるありさま。まったく、どうしようもない!
とハンセイしつつも、光は春の明るさとパワーを含み、それだけでやはり嬉しく感じてしまうのだ。

昨年ミラノを旅した時、ガレリヤのとあるカフェが目隠しにやつでをプランターに植え込んでおしゃれな演出をしていました。ヨーロッパでやつでに気がついたのは初めてだったし、その使い方がおしゃれで、我が家のガーデンにも是非取り入れてく思っています。
氷川神社の近隣に住んでいて、神社のやつでは馴染みだったので、冬の花を楽しんでいましたが、今年は何本かを自分の場所に植えてみようと思います。

2月の16日から4月15日までは、ギャラリーの営業はお休みです。寂しさ半分ですが、その間に、サクラモヒラができることの道筋をしっかりと踏み固めたいです。
サクラモヒラの村の女性たちの意識が向上し、このような展開ができることは、20年前には思うことさえありませんでした。

続けてこられたことに、お礼と感謝です。振り返ってみると、つくづく思います。



# by sakura_mohila | 2020-01-10 11:38 | Comments(0)  

さいたま市文化財団の催しで「さいたま夢KANA音楽祭」というところが、サクラモヒラを通して、バングラデシュのナラヤンプール村を含むBRAMANBARIAという地域の大学生に「夢KANA奨学金」をくださっている。サクラモヒラが初めに奨学金を出した男の子の二人がカレッジの教師に育ち、彼らがその奨学金の選考やお金の管理をしてくれているのだけれど、また人数を増やせそうだ。

昨夜、メッセンジャーで作業をしていたら、奨学生の一人ARIFUL君から、ポン、ポンと世b出だしで、短いテキストを交わすことが出来た。日本語で書いてあったのは、「私の唯一の夢は日本にいくことです」
昨年までは、ひらがなだけのテキストだったから1年の進歩たるや、見上げたものだ。
「唯一」の意味がわかっているか、どうかは別にして、彼のささやかな(夢KANAさん、失礼をお許しください)奨学金が彼に夢を与えたことも確かだ。
日本がどんなに良い国に見えているのだろうか?
しかしながら、彼がダッカのオフィスに来ると、彼の細胞のすべてが生き生きとはずんでいるように感じるのだ。
さて、次はどんな子が選ばれるのだろうか?
サクラモヒラの奨学生であった、アムジャドとモニールは、真面目であることはもちろんだが、家計が苦しくて勉学に苦慮している学生、だということだ。

この奨学金は、シードマネイが生み出す利子をつかっているから、ずっと、ずっと続いていくのだ。

# by sakura_mohila | 2020-01-09 10:50 | Comments(0)  

春の色

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陽光が明るい。春を生きる陽光はこんなにもパワーがあるのだ、と部屋に差し込む日差しを見ながら、それだけで力が湧いてくるような気持ちになる。心のとげとげもこれではきえてしまうよ!
そろそろ咲いたかな、と思って、休日の火曜日、散歩の足を伸ばしてみたら、案の定さいていました。水仙。
写真に撮ったら、まわりの空気が、毅然とした色になっていて、寒いけれどこの時の空気の色がほんとに好きで、好きでたまりません。
この頃、樹木が水を吸い上げる音が聞こえる、と聞いたことがあり、聞いてみたくて、聞いてみたくて、耳を澄ますのだけれど、一向に聞くことがないまま、何年も過ぎていました。幹に耳を当てて聞くのですって!よし、来週の早朝!
しかし私がいるのは、何年も生きてきた木々の中なのだから、そのまま、「ザワッ、ザワッ」という音がきいてみたい!
それにつけても、冬の色のなんと美しいことだろうか。お池に白い鳥が浮いていた。よく見る水鳥とは違うようだが、なんという鳥だろう。
ふと、Gallery Sakura Mohilaのことに関して、いろいろなアイディアがまわり始め、今日は2時から起きだしてしまった。布や染やプリントなど、図らずも自分の人生に入ってきたものだけれど、それらに関しての本をちびりちびりと読んでいくなかで、いろいろな興味がわいてくる。
20年以上も、関わってきたナラヤンプール村の人たち。初めは違う目的で関わることになったのだけれど、今やたくさんのことをしてくれる人たちに変っている。だからこそ、いろいろなアイディアが自分の中に巡るようになったのではないだろうか。
考えてみたら、段階を踏んだのだ。次のステップに向かって。足を見つけた赤ん坊のようにね。
さて、「パワハラ」なんかしてる場合か!と自分に「カツ!」を皆を働かせなくてはならないね。

アイディアは、Gallery Sakura Mohilaにて、形にします。老骨にムチなんかいくつでも打って、やります。ムチのあとではなく、美しく咲くSAKURA MOHILAのGallery Workを見に来てくださいね。

# by sakura_mohila | 2020-01-08 04:47 | Comments(0)  

2020年の初営業にあたって

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2020年、先ずは鉢植えの植物に直行しました。
昨年の29日から、新年の4日までは、休暇でした。窓辺の日差しや、建物の空調を考えると、いささか心配でしたが、近くに住みながらも、それなりに時間に追われて、ギャラリーに水遣りにこなかったのです。
よかった、よかった!三友花は、新芽を吹いていました。コーヒーの木は、新しい芽がぐいとのびていました。オリーブは、少し堪えたらしく、触るたびに葉をはらはらと落としましたが、今はおさまりました。
生き延びた植物とともに、「今年もよろしくお願いします」

普段家を空けているので、家にいると普段と違うことをいっぱいしたくなり、その結果、あれもこれもの希望の仕事は露と消えてしまう、のです。
しかし、家でぼんやりとあれやこれやに思いをめぐらすことも、大変に楽しく有意義な仕事でした。休暇があけたら、あれもしよう、これもしよう、とサクラモヒラの計画を立てることも楽しかったです。

今日の夕方で、ナラヤンプール村小学校の子どもたちの絵の展示は終わります。「小春日和」さんというベーグルパンのカフェベーカリーでの展示に変わります。堀の内にあるおしゃれなベーカリーカフェですので、是非おでかけください。

お年賀ができています。カディのタオルで、孔雀のブロックプリントのモチーフです。
孔雀の華やかさ、誇りの高さ、強さが、今年のサクラモヒラのモットーです。孔雀のモチーフ展開、楽しみにしてくださいね。

1月10日から、ノクシカタの壁の展示が始まります。見ごたえのある針仕事を集めますから、これもお楽しみに。

さらなるお楽しみは、サクラモヒラの製品が、セール価格になっています。是非、この機会をおみのがしなきように、お出かけください。

今年もまた、お会いして、お話ができますことを楽しみにしています。
皆様の、穏やかで、健康な2020年をお祈りいたします

# by sakura_mohila | 2020-01-06 12:30 | Comments(0)  

厳寒の時に

朝6時半頃、カーテンを開けると、光が空を染め始める時である。光が見え始めるからカーテンを引くだけのことだが、朝の光の色はほんとに好きだ。
同じはずだと思うけれど、夕焼けの色とどうしてこんなに違うことができるのだろう。
朝の光は希望を運んでいる。夕焼けの光はやすらぎを持っている。
世に「夕日を見る会」なるものがはやりだそうだ(情報源は不確か)。しかし「朝日を見る会」で人が群れをなすことはないそうである(情報源は不確か)
初日を見るために人は山に登ったり、特別な場所に行ったりする。しかも日の出の寒い、寒い時間に。
朝焼けの色は、特別なことをしなくてもほんとに美しい。一人で見ても、二人で見ても…自分の好みとしては、大勢では見たくない。
夕暮れはどうだろう。夕日をみながら、その後の集いが結構楽しく、充実していそうな感じがする。気の合う人たちと見なくちゃね。
文明が始まった場所は気候のきびしい場所である。寒くて、澄んだ空気の中に生まれて育って行ったのだ、と想像すると、1月の朝のピュアな空気や寒さが好きになる。

# by sakura_mohila | 2020-01-05 11:06 | Comments(0)