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5月の連休明けまでの予定

コロナの感染拡大防止に絡んで、お知らせがきちんとできかねています。

葉書でお知らせした情報が、現状に鑑みて、かわっていくので、お知らせが追いつきません。
インターネット上のお知らせは、細かくいたします。

サクラモヒラのギャラリーをお借りしている、押田謙文堂の書店は、コロナ感染拡大対策により、5月10日までは閉店だそうです。
3階にあるサクラモヒラのギャラリーも、それに伴い、オープンは5月10日になりそうです。
ただし、現状次第で変わる可能性もあります。

4月16日から予定していた、伊奈町の杜にあるカフェVientoも、急遽、5月までは閉店になりました。
したがって、この場所をお借りしての展示会はできなくなりました。
中止のお知らせです。

たびたびの変更、恐縮しています。
コロナ菌の心配がない状況を待つばかりです。

しかし、いつもの日常にできなかったことが捗って、喜んでいます。
コロナ菌、気をつけてくださいね。

# by sakura_mohila | 2020-04-09 16:33 | Comments(0)  

春の陽の中で

スタッフたちと、屋上の庭園でランチをした。
ささやかな食べ物だったけれど、空気が気持ちよくて、満足、満足!
コロナバイラスでちじこまった日々はどこにあるのだろうか。大きなお店が閉めている。小さくてもレストランも閉めている。
自粛がない時の生活はどこに行ったのだろうか。
しかし、自分の生活を省みるに、自粛前と後では、せいぜい、マスクをして外出するようになったこと、レストランの食事をしていないことなどが変化だろうか。
それと、神経質なほどに、石鹸で手を洗うようになった。
映画館やライブハウス、劇場、図書館、博物館などが閉まっていると、ついつい、戦時中の人たちは、どのような生活をしていたのだろうか、ということに思いを馳せてしまう。
しかし、今は少なくとも食べるものには不自由がないし、目に見えない敵との戦いはあるにしても、殺し合いがない、という点では戦争とは比較にならない安堵感がある。
しかしながら、この状況を乗り切るのは、やはり大変なことだ。どうやって対処したらよいだろうか。この先をポジティブにするためには、何をしたらよいのだろう。

あせらずに、でも、考えて進む。



# by sakura_mohila | 2020-04-09 14:47 | Comments(0)  

コミュニティの活動

毎月第一日曜日の8時は一宮商店街通りの清掃活動の日です。
何年間か参加してきましたが、今日は異例の活動日になりました。
1)全員マスク着用
2)全員、人間としては不自然なくらいの距離を保っている
3)通りにゴミが少ない

いつもなら、この通りは朝のこの時間には高校生や中学生が、ゴミの袋を持って、挨拶を交わして通り過ぎていくのです。
しかし、いつもの同じことも少し視点を変えると、見えないものが見えると思うし、いつもの流れを切るのも悪くないような気がしています。

サクラモヒラの棚卸しの作業をしながら、なんとなく聞いたのですが日本の平安時代に流行った疫病がありました。そう言えば、中学の時に日本史の先生から教わったことを思い出し、その先生のお顔やお声まで思い出しました。しかしそれ以上の内容は思い出せずに、しかしこのような状況であるゆえに、気になってしまいました。
当時の医学知識からして、大きなパニックだったと思うけれど、一体その疫病はどうやって終息していったのだろうか。やられたのは栄養状態の悪い平民だったのか、優雅に暮らし、身体を鍛えない上層部の人たちだったのか。





# by sakura_mohila | 2020-04-05 11:53 | Comments(0)  

生産について

待ちに待った春の暖かさの中、土いじりをして過ごしたら、やや穏やかな気持ちになったかもしれない。庭の子兎の目がかわいらしく見え始めた。生け花に使った猫柳が根を出して、枝に葉を広げている。バラも新しい葉の芽を伸ばして、どうやら真っ赤なバラも根付きそうだ。そのようななんでもないことが、嬉しくなった。
概して、私は安上がりで経済的な人間のようだ。

木、金とサクラモヒラの製品の棚卸しをしながら、訳もなくダッカに行きたくなった。作ってくれた皆の顔が目に浮かぶし、自分が指示したことの一つ一つの場面もよみがえって、また皆と作業がしたくなった。

ダッカに借りているサクラモヒラのアパートは1年を通して快適である。スペースも充分にあるが、10階のせいで、風が通るし、見晴らしがきく。一人でいると、食事も気ままでよいのだ。ご飯と塩昆布と梅干とお茶の一日という日もかなり頻繁にあって、村の女性たちが、「何を食べているのだ」と心配している。彼女たちはダッカの生活は気晴らしである。家事から解放される。お金が稼げる。レストランの食事がある。街の賑わいがある。

しかし栄養失調的な私の生活も気晴らしである。時間に追われない。サクラモヒラの1種類の仕事をするだけでよいのだ。忙しいけれど、これも、あれも、と時間のやりくりをしなくてもすむ。食べることに頓着しなくてもよい。
洋裁をしていた私の妹はたびたび一人で行ってくれた。彼女にとってもこの場所は気晴らしであった。
しかし、彼女は根本が日本的な女性で、恐らくは限界に達したのだ。気晴らしの場所だけならよいが、仕事をしていくとなると、私ごときでさえも様々な障害にぶつかっては泣き、わめきして、なんとか生きのびる。障害が国際間になると、日本の正義を振りかざすだけでは、なにも解決しない時がある。

ダッカのアパートにいると、ふと妹が楽しんで暮していた数日間の様子が垣間見えて、なぜもっと違う種類の障害を乗り越えようとしなかったのか、と思う時がある。
人ってそんなものかもしれない。



# by sakura_mohila | 2020-04-04 11:41 | Comments(0)  

本音

サクラモヒラの村の女性たちのリーダー・カジョルレカさんがこのごろメッセンジャーを使って連絡をとってくるようになった。
喜ばしいことだ。写真を送って、製品のデザインの判断を仰いでくる。写真ではよく分からないので私の返事はたいてい、「自分の感性を信じなさい!」それが相手にわかってもらっているかどうかは定かではないけれど。
彼女たちがサクラモヒラを通して、身につけたものはなんだろう。
そのようなことを聞くと彼女たちは、教則本を鸚鵡返しにしているように、またはマニュアルの応対をする日本の人たちのように、「私たちはとても感謝している。仕事場もきれいだし、お金も稼げる、私たちが覚えたことはとても多い。」と繰り返す。しかし私は本音をしりたい。

2月に一緒に行った人がポケトークを持ってきた。時々、ジョーク!というような変換もあるが、なんとか深い会話もできる。今度行く時には、ポケトークを買って持っていこう。
私は、彼女たちの本音が知りたいし、サクラモヒラの女性として何をしたいか、を聴きたいのだ。

そのようなことを育んだサクラモヒラの活動であっただろうか?
今度あったら、そのような話し合いもしたいと思うけれど、コロナバイラスの猛威で、次に彼女たちに会うのはいつのことやら・・・

時々、メッセンジャーに、「コロナは大丈夫か」と聞いてくるけれど、彼女たちは今頃何をおもっているのだろうか。
彼女たちが出店を楽しみにしていた、工芸のコンクールはおしなべて中止である。

# by sakura_mohila | 2020-04-02 21:36 | Comments(0)  

冷たい雨が降っている。昨日公園の桜はまだまだ見ごたえがあった。この雨が止んだら、また桜の美を楽しむことができるだろう。お彼岸を過ぎて、観葉植物を外にだしたのだが、果たして室内に取り込むべきか、と考え始めた。あの春の雪の日に出したままにしておいたことを考えると、いまさら遅いか、という気もしてくる。
植物も、そのほかの生き物も、こちらが考えている以上に強いのかもしれない。
昨日は公園の中を歩きながら、へびやかえるや、とかげやたぬきにばったりと会いたくなった。毎日通る道のどこに彼らは潜んでいるのだろうか。垣間見る彼らの姿から、その存在がわかるのだが、実際に向かい合うと「キャーッ!!!」とか、黄色い声をあげるかもしれなくても、垣間見る彼らの存在は、やはり嬉しいものだ。庭で見たことがある青大将の後ろ半分、夜中の土蛙、夏の朝の山かがしの一服のひととき、蜥蜴の日向ぼっこ・・・など、今でも彼らは庭に住んでいるのだろうか?
見えないところで、したたかに生きていてくれ!庭の地代は無料にしておくからね!
庭の草取りをしていたら、母の庭から持ってきた紫色の早春の花が葉を出していた。絶えたかもしれない、と危惧していたので、母親に会ったごとくの嬉しさだった。来週には青い花を見るだろうか?

サクラモヒラの女性たちとあれやこれやをしゃべっていたら、彼女たちの村の庭にはさまざまな果実の木があることがわかった。そしてどの家にもマンゴウの木が植えてあった。マンゴウ、ライチ、グアバ、バナナ、ボロイ・・・指を織りながら、一つずつ数えていた。皆、トタンの壁の家にすんでいるが、その家さえもない人は果物の物語をただ聞いていた。

そして、彼女たちは日本の人たちに「コロナは大丈夫か」とメッセンジャーで聞いてくるのだ。

# by sakura_mohila | 2020-04-01 15:15 | Comments(0)  

織物

イスパノ・モレスク様式の絹織物(西洋染色文様史:城一夫著)という本の中で、イスラムの文化が西洋の生活圏に溶け込んでいく様がとても興味深い。
何が興味深いかというと、人間の生活が人種、国を越えて影響を与え合い、絶妙に交わってそれぞれのローカル色になってゆく点だ。人間は違っているけれど、皆、人間なのだ、ということに気がつく。
同じ地球を住まいにしているから、動物を見たり、植物を見たり、花を愛でたり、星や月や太陽に感嘆したりと生活は基本的におなじなのだ。
そして、現代人も、100年前、1000年前、5000年前の人も人間であるなら、同じなのだ!

ビザンチンの模様、イスラムの模様を見ながら、そんなことに考えが及んだ。

はからずも深く関わることになったバングラデシュではあるが、そのために知り始めた布にまつわるあれこれは、自分の生活に様々な色彩をあたえてくれた、とほんとに思うのだ。植物の染色がそれぞれの時代の人たちに色を与えてきたように。

コロナバイラスはパンデミックとなり、世界の脅威になっているけれど、パンデミックは歓迎ではないにしても、世界に広がるのはきわめて自然なことだと覚えておこう。

# by sakura_mohila | 2020-03-31 10:59 | Comments(0)  

コロナ

屋上の庭に、花が咲き始めた。
香文木さんのお庭から分けていただいた、白いたんぽぽ、日本種と壷菫を移植した。香文木の奥様がそのような日本古来の植物を増やしたいのだそうだ。増えていくといいけれど・・・
窓から見ると春のお彼岸の頃にはキッチンの窓から、太陽が昇る様子が見える。瞬く間に空を赤く染めていくパワーと、染まってゆく空の様子が大好きで、朝日が昇る時を楽しみにしているけれど、まったくコロナは力が強いね!空を見る見る赤く染めてゆく力!

今日が香文木さんの販売会は最終日です。
おいしいおうどんやおそば、食べることが楽しみでした。ここのお汁は、いつも武蔵武士の味を思い出す。勝手にこの塩辛い味が武蔵武士の味だと思っているにすぎないけれど。でも戦いの時や、。食べ物が豊富になかった時にはこの塩辛さが必要だったのだろう。
松尾芭蕉は旅の中で自分を見つけ、成長し、鍛えていったのだと思うけれど、旅支度たるや、道なき道を行くにしては、あのはかないわらじ、雨露をしのぐにしてはあまりに頼りない布、雨傘たるや菅の笠ではないか!しかも一日に1食であったという。信じられない!人間の可能性も信じられない!すべてが驚異に値する。

しかしやっと思いついたのだけれど、自分だって人間ではなかったか。驚異に値することなどできるのだろうか?!
「旅に病んで夢は野原をかけめぐる」
すごいね!この感覚!スゴイ、スゴイ、スゴイ!

# by sakura_mohila | 2020-03-30 10:22 | Comments(0)  

桜に雪が降っている。止むことなく、降って、降って、積もり始めた。桜の花びらと雪の花が舞ったら、どんなふうだろう。

鴻巣にある、香文木の展示会は残す日を今日と明日になった。3月18日から始まったので、北本駅からバスに乗って、それからまた畑の道を歩いて、香文木にたどり着くパターンにも慣れて、明日で終わりになるのが少々淋しい。
その道を歩く時、なぜかいつも過去に読んだ文学のページを思い出した。一つはポール・オースターの「パーティに向かう3人の農夫」の写真。戦時下に農作業を終えた若者3人が、タキシードとシルクハットに着替えて、一張羅の顔で農道を歩いてパーティに向かう写真が表紙に使われているのだが、その顔の表情が平和な時の若者の顔より楽しそうに見えるのだ。
もう一つは「テス」。失望の果てに、街に出て行くのだが、200年前の道は農道で、まわりになにもなく、荷物を持って、その農道をひたすら歩いて、馬車が止まる停車場に向かう姿である。イメージが鮮烈に残っているだけで、これはもしかしたら、違う本のページだったかもしれない。しかし当時の大きなスカートの服を着て、荒野をいつ来るかもしれない馬車の停車場に向かう当時の女性が生きる条件を象徴したような姿は、ほんとに荒涼としていて、忘れることができない。

その道を歩いていたら、雉がばさっという音を立てて草むらに現れ、しばしの時をともに出来た事実も忘れることができない。ほんとにきれいだった。

香文木の奥様は高知の山間の出身でいらっしゃるが、100歳を越えたお母様と彼女の妹さんが大豆の収穫を終えて、畑に腰をおろし、雲とも山とも思える方向を見やって微笑んでいる写真を見せてくださった。風景も美しいけれど、そこに写る二人の女性たちが、自然の一部として、満足した笑みをたたえている姿がほんとに美しい。この写真は何度か見せていただいたけれど、そのたびに、人間の美しい姿として感動する。

さて、残りは明日のみ。どんな明日が待っているのだろうか


# by sakura_mohila | 2020-03-29 10:38 | Comments(0)  

香文木の庭で

コロナバイラスの驚異が満ち溢れています。

そのような日常にありながら、ふと、ペストが流行したヨーロッパの社会を思ってしまいました。
Margaret Forsterの小説のひとつに、ペストの驚異におびえる親子の日常が書いてありました。黒枠の郵便が屠蘇いて、親しい人がペストでなくなったことを知るのですが、昔読んだそのような一つ一つを思い出しています。

今日は、北本の田んぼの中に建つ香文木という手打ちそばやさんのギャラリーで展示会です。
今日を含めて、あと3日になりました。
お話会に雉がきたり、ねこや目白がきたり・・・コロナを忘れる場所です。

# by sakura_mohila | 2020-03-28 09:43 | Comments(0)