The color of winter

Here in Omiya, Saitama Japan, cherry trees have fallen almost all the leaves and we see empty cherry trees. When the leaves are off the branches, the sky is very blue in the transparant air. Sometimes the air wears icy blue and it is really winter color. However, the sun seems to be for the new year and it makes the things look in spring color. Yes, I got a close look to the cherry branches to find that the buddig is about to begin.
When the world has the winter color, spring is at the same time going on. There is no clear separation of the changing.
The same it is with us. We are living, aging day by day, minutge by minute and finally we live to be very old just when we noticwe the long life!
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# by sakura_mohila | 2018-12-14 13:01 | Comments(0)  

冬の色

時々思うけれど、すでに、新年の色が始まっているのではないだろうか。枯葉とともに秋の色が遠のいて、空気は澄み切って冬の色になるのに、その光の中に生まれてくるものの兆しの色が見えるように思える時があるのだ。寒いけれど、一番好きな季節が来ようとしている。木の葉を落とした桜の木を注意深く見たら、小さな、小さな芽が生まれていた。秋が終わって、冬が始まり、春に移る季節も、はっきりとした分かれ目があるわけではなく、同時進行で進んでゆく。それは、人が気がつけば、きちんと日々を重ねて同時に年齢が進行して行く様と同じではないか。
そのように考えると、季節の移り変わりもそれなりに楽しみだけれど、大きく進んでゆく方向が見えてきて、違う楽しみでもある。


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# by sakura_mohila | 2018-12-14 12:47 | Comments(0)  

やつで

やつでの花が咲いている。地味に咲いているのに、冬の水辺にその花を見たり、ふとした藪の陰に咲いていたりすると、その地味さが返って清々しく見えたりする。その昔はたいていの家の庭にやつでやアオキがあったのに、庭の姿も様変わりしてしまった。近くの駅のショッピングモールには、在来種の木など1本として見当たらない。いわゆるハーブと呼ばれる類の西洋の低木種が、おしゃれな雰囲気を作って植えてある。
つい最近のことだが、森鴎外の住まいを訪ねた。縁側に沿って続く庭の踏み石を歩きながら、彼の書いた文章が頭に広がって、あったこともない文豪ながら、とても豊かな気持ちになった。
やつでは東洋の植物かと思っていたら、10月のロンドンの庭にも咲いていた。久々のロンドンでは、柿やみかん、やつでやおもとなどがあって、人間はとにかく広がりを持って生きる生き物なのだ、とつくづく思った。しかしその反対に昨日聞いていた英語のニュースでこんなことを言っていた。しかしいつものように何かをしながら聞いた知識なので、細かく正確というわけではないが・・・
インドのある部族の話である。彼らが住むのは離島で、その部族は部外者は彼らを絶滅に導く病気を運んでくる者たちと考え、徹底的に打ちのめすそうだ。その部族にキリスト教を布教せむと臨んだ牧師様が殺害されたそうである。

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# by sakura_mohila | 2018-12-09 12:57 | Comments(0)  

養蜂

昨日の夕方、ある知り合いで、緑化推進の仕事をしている方が、蜂蜜の箱にたまった蜂蜜を持って、来て下さった。庭の手入れをお願いしたのだが、その蜂蜜はひょんなことからある人の屋敷内に迷い込んだ蜜蜂から採取したものだ。その屋敷の人とは知り合いだったので、そこでできた蜂蜜の味見をさせていただいた。動物的な匂いがして食べにくいかな、と思いきや、見かけのこってりとした張り付き方に反して、雫を食べているかのような感じだった。小さなスプーンですくった蜜は、蜜の色が漉き取っていて、甘いのに甘すぎず、繰り返すけれど、ほんとに雫を食した感じである。目にも、舌にも心地よい。
ところでサクラモヒラの強力な助っ人シラーズさんは、来日した時、祖国へのお土産は蜂蜜を欠かさない。バングラデシュでも養蜂は盛んで大いに売り出しているけれど、味が濃すぎて、私には食べにくい。日本の漉き取ったような雫の味と見た目はどこからくるのであろうか。
そのような理由で、こちらもお土産は蜂蜜になってしまうのだけれど。ダッカの家でトーストと蜂蜜、紅茶とオレンジがあれば、豊かな朝の始まりができる。

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# by sakura_mohila | 2018-12-07 12:16 | Comments(0)  

Communication

Walking through the path in the park, I feel the best season to enjoy the color art of nature is gone and now winter is coming in in the autumn colors. The air makes winter busy time instead of the autumn holliday season.
Just because of the very hot summer heat, frui is very deliciouse. Mikan mandarin oranges, pears and apples make me crazy, giving big appetite for them.
Thanks to the good sales of our Khadi cotton products, I sent additional order to our tailor in Dhaka. No reply and I cpould not know what he was going to do with the order. Then suddenly it usually happens that he sends me out all the ordered goods by EMS. I also send messenger letter to my village lady, and as usual, I get no reply. That's irritating. Until quite resently they did not have internet. The village people have not learned how to communicate properly. If they have internet, it might be easier if you call. They react to the voice.
On the contrary in Japan, the reaction is quite quick. They even reply the mail without reply expectation. Thyat is sometimes counter-irritation. I have to be very careful of returning e-mail, which I sometimes miss returning the answer.
Communication is too nervouse in Japan.

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# by sakura_mohila | 2018-12-03 13:26 | ENGLISH | Comments(0)  

コミュニケイションの仕方

公園の中を歩いてくると、すでに木の葉が色を変えて、もう紅葉を楽しむというよりは冬に移り行く景色になってきた。美しいけれど・・・
今年のみかんも柿も甘くて果物の喜びもあるけれど、梨がほんとにおいしい。ほんとに頻繁に八百屋さんに通うようになった。
昨夜、ダッカから荷物が届いたので、電話をすると、答えがない。でもたいていの状況がわかるので、それほど気にはしていない。テーラーに追加のオーダーを出したが、返事がない。彼は英語を書くのがそれほど日常のことではないから、いかにオーダーの追加といえども、忙しさの中でついつい後回しになる、ということがわかってきた。バングラデシュでも、インターネットが普及するようになり、さらに無線が当たり前になって、電機の線はなくても無線なら、インターネットが可能になった。カジョルレカさんとmessengerの交信さえも可能になったのだ。外形的には。
それが難しいのは、彼らはすぐには返事を返さないことだ。交信が不可能ならばはじめから期待もしないものを、へたに交信をしてしまうから、返って苛立つことがある。
日本はどうだろうか。こんなことまで、と思うことにまで返事が行儀よくきてしまい、バングラデシュとは逆の煩わしさを感じる、だらしのない私である。
しかしオーダーをダッカに送るにしても、以前は保険をかけないと届かなかった。今はクリックしさえすれば確実に届くのだ。聞くところによると、バングラデシュではほんとに郵便局の存在が薄くなってきているようだ。

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# by sakura_mohila | 2018-12-03 12:58 | Comments(0)  

Community activity

My office is located on the old road that leads to the area's oldest shrine and the park. Because of its historic background, the local people are very much proud of keeping the road clean and beautiful. The first sunday morning monthly the community people clean the road from 8 o'clock. The cleaning activity works as a good communication time for the people, with some outsiders now joining.
I have attended this cleaning for several years, just for enjoying the communication with the neighbors.
The shrine road always has some dignity for its good attendance of the local people.
I was in Dhaka then, looking out of the car window in the traffic jam. The streets and all the cities were litters there. The place seems to be a kind of high commercial area and a restaurant manager(?) was cleaning the front and the road. He carefully gathered the litter and threw it in the corner of the road side.
My apartment landlord in Dhaka envies the lcleaning activities in Japan. He deeply laments his homelanders' lack of the cleaning sense.
When I first visited the Narayanpur Village, which is very far from any cities and the people were poor, I was very reluctant to go to the toilet. I asked to use it because the way back to Dhaka was very long. Against my expectation, the place was well attended. Just it was not a modern place but it kept some cleanliness.
Where does the idea of public hygine come from?

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# by sakura_mohila | 2018-12-02 17:37 | Comments(0)  

朝の通りの清掃

大宮の駅から氷川神社に続く通りにサクラモヒラのオフィスがあるけれど、その通りの商店街が中心になって、第1日曜日の8時から清掃活動をしている。街のゴミを掃除するという簡単な活動だけれど、街の人に混じってどこからか応援軍団が入り、ちょっとしたコミュニケイションの広がりをみせている。業種の異なる街の交わりも楽しくて、私も参加し始めて何年になるだろうか。通りの美容室に働く人たちは、お店のオープン前にユニークないでたちで、清掃作業。今朝はサンタクロースの装いで、ゴミ広いをしていた。全員の人たちが参加していらっしゃるけれど、若い美容師さんたちが、「清掃をして気持ちがいいです。来年もよろしくお願いします!」と発する挨拶はとても気持ちがよいし、その美容室に行ってみようか、という気持ちにもなる。問題は彼ら、彼女らのテイストが若者向きで、怖気ずいてしまうことくらいだ。
ダッカの街は、人も多いがゴミも多い。渋滞している車の窓から見るともなく見ていたら、ある高級レストランの支配人らしき人た一生懸命レストランの前に広がる道路の掃除をしている。彼らにもそのような気持ちがあるんだ、と新たな発見をしたような気持ちになっていたら、そのゴミを道路の隅にそのまま捨てた。やはりここはダッカだ!月に一度の道路の清掃活動の話を、ダッカのアパートの管理人のシラーズさんにしたら、かれはとても、とても羨ましがっていた。バングラデシュ人はなぜ、そのようなことをしないのだろう、と嘆いていた。
ナラヤンプール村に初めて行った時、トイレの心配が大きかったが、実際には粗末なつくりかもしれないけれど、きれいにお掃除がされていた。
なにが、公共の場所の清潔さを決める要素になるのだろうか

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# by sakura_mohila | 2018-12-02 12:03 | Comments(0)  

師走かな

久々に昔懐かしい体験をして、サクラモヒラを始めたばかりの頃を懐かしく思い出した。
あるコーヒー豆やさんが、開店20周年を記念して、記念品のふきんを注文してくださった。それはかなり前から、お話をいただいていて、間に合うはずであった。
相手方は、デザイナーさんに頼んでデザインを決め、すべての寸法もミリの単位で計算して、注文してきた。
その図柄を見た時、漠然とだが、少し不安になった。一般的に売られているような、印刷機でプリントしたようなデザインである。しかし、実際にブロックプリントとしてほってもらうと、細かい模様をきちんとだすために、版木が指定よりも大きくなってしまった。しかしせれいに彫ってある。1枚の布の大きさもミリ単位でしていされており、先に布をカットしたので、版木の模様は全部をいれることができずに、最悪の例として、オーダー様のお名前が入っていたり、いなかったり・・・。そこで、時間を気にしながらのやり直しとあいなった。こんどは、バングラデシュの職人さんたちも、たかがかんたんな押しなのに、布の端は難ミリ空けるのか、とか真ん中の空きは狭くなるとか・・・神経質に夜中に何度も電話してくる。その結果、やっとのことで、布を大きくして治めたのだが・・・あろうことか、ちょうど年末に入り、日本の税関で信じられない時間を費やす羽目になった。しかし、なんとか12月1日の朝に配達できたのだ。
その間、郵便局などにいっぱい電話を掛け捲り、相手を苛立たせて・・・
結果は不満足であった。大きさが違う。色が違う・・・せっかくデザイナーさんを頼んだのに・・・
しかし間に合わせるように届けるだけで、こちらはEMSの追跡サービスと苛立ち電話をしまくって、へとへとだったのだ・・・そして始めた当初はこんなことが当たり前にあったのだ。

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# by sakura_mohila | 2018-12-01 13:46 | Comments(0)  

バウルの歌を探しに

畑に春の青い花が咲いていた。同じ畑にキリギリスが鈍くなった動きをじっと小松菜の葉に横たえていた。今年の冬はこんな共存が可能なのだ。同じ場所には琵琶の花が最盛を迎えている。名も知らない小鳥が琵琶の花に止まっている。これはまさに今の風景だ。
偶然から本屋さんの棚にあった「バウルの歌を探しに」という本を買った。著者も本の題名も知っていたわけではないけれど、読み進むうちに面白くて、先へ先へと読んでしまった。「バウル」とはなにか、というところから始まるのだが、バウルのことを説明ができる人はどこにもいないが、バウルはバングラデシュの生活の中にふつうに入っている。哲学とも呼べるし、そうでないとも呼べる。というのがバウルである。タゴール、ロランもバウルに関わったらしいけれど、はっきりそうであるともいいきれない。しかしラロンもタゴールも、国の有名な詩人たちだ。
思い返すに、20数年のバングラデシュのかかわりの中で、自分もその哲学に、気がつかずに触れてきたのではないだろうか、と思うのだ。だいたい訳を聞いていると、自分は「イエス」くらいしか言っていないにも関わらず、5分たってもその訳が終わらない。村の人たちの言い訳に関して言えば、終わることがなく、たいていの場合自分のほうから「言い訳はもういいです!」とキットした目をして打ち切りにすることが多いのだ。なにをそんなに話すことがあるのだろう。「イエス」から。
その昔、サクラモヒラをスタートさせたハクさんのお付き合いで外交官のトレーニングセンターで、彼の話を聞いたのだが、あるジョークとも言えないジョークは今となっても忘れることができない。彼はこう言ったのだ。「アメリカ人はバングラデシュ人の3倍働く。日本人はその2倍働く。バングラデシュ人は半分しゃべって、半分働く」でも彼らの生活、特に村の人たちの、というよりはむしろ立場の弱い人たちの生活スタイルを見ていると、ほんとによく言い訳をして、終わることがない。それがバウルの哲学と関係するかどうかは分からないけれど・・・でも、
忙しい現代生活を超越したところにバウルの哲学が流れているとすれば、村の人たちは意識せずして、その哲学を心にもっているのかもしれない。
今頃になって、そのような文化のことがやっとわかった。無知はほんとに恐ろしい。

ところで、明日12月1日(土)、2時からギャラリーサクラモヒラにて、平間の話の会があります。タイトルは:「サクラモヒラの始まり」25年前のバングラデシュの貧村の生活とそこに暮す人々が話の中心になります

 
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# by sakura_mohila | 2018-11-30 16:26 | Comments(0)