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雨があがって晴れ間が出始めている。庭の草取りをしていたら、新しい芽があちこちに出ているし、思わぬ花がもう咲き始めている。気がつけば、木も伸びて大きくなっているではないか。自分ができるうちに、のこぎりで小さくしておかなければね・・・
自分一代の家はそういうことなのだ。例えば、先祖の家を受け継ぎ、受け継ぎだったら、大きな樹もそのまま大きくしておける。
バングラデシュのナラヤンプール村に作った学校。公立学校になっていらい、手を引いてきたのだが、奨学生と村の女性たちのプログラムが村に残っている。しかし、大きな樹を残しておけないように、自分も少しずつ姿を消していかなければならないだろう。
サクラモヒラが少し貸した資金で、サクラモヒラのお店がオープンしたのは、昨年10月のことだ。しかし、社会の発展がちょうどそのような時期にあたっていたのだろうか。10人いたサクラモヒラで働く女性は今や、20人になったそうだ。リーダーのカジョルレカさんが胸を張って答えてくれた。
ラマダンが始まって、イスラムの人たちは、この時期贈り物をよくするのだが。その需要を当て込んで、Sakura Shopも忙しい。女性たちも仕入れに行くけれど、カジョルレカさんのご主人も協力態勢だ。ご主人は仕事場を失っていたから、これが自分のビジネスになって行けば、私はとてもいいと思う。村にも雇用が増える。稼業にもなるので、大きくしたいと必死になるだろう。
遠くまで仕入れにいってきたに違いない。彼はズボンをはいている。100円ショップから買って持っていった袋はほんとに役に立っている。テーラーにもあげたし、そめやさんにもあげた。職人さんたちは、物を運ぶからほんとに便利に使っている。
播き続けてきた仕事の種が、切らなくてもよいような大きな樹木に育つことがあるのだろうか。近ごろ、時々、ふと頭に描くことがある。
小学校も、あまり手をだしていなかったけれど、またちょっかいうを出し始めた。日本の小学校と交流ができたら、どんなによいだろうと思う時がある。今や実際に行かなくても交流ができるのだ。
昔、小学校に通っていた子どもが今では大学生になり、FBでつながるようになった。でも、大きな、大きな木になっていったら、どんなにおもしろいだろうか。自分の家の小さな庭の樹は、のこぎりを入れるけれど、人から人に伝わる木はのこぎりを使わなくてもいいのだね。
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# by sakura_mohila | 2023-03-28 16:24 | Comments(0)  

白い椿

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紅い椿と言えば、華やかなイメ・ージのシンボルであるように思われる。「椿姫」とか…しかし、何かの影があるのだろうか?原作の"La Traviata"のイメージをぴったりに表現している想像力がすごい!
我が家に隣接する庭に白い椿の木がある。つくづく感ずるのだが、白い椿の花は、ほんとに寂しくて哀しみの花だ。
日本で「椿姫」のオペラに行った時、白い椿がイメージのようにあちこちに飾られていた。触ってみたら造花だったけれど。
今朝、ナラヤンプール村のアンワーさんが「永遠に旅立った」という知らせが入った。
アンワーの実年は私より何年か少ない。しかし白いひげを長くして、物語を生きているような人だ。
ナラヤンプール村の小学校の建設からその後のプログラムにいたって、協力をしてくれた。
なにもエレガンスがないような村の生活の中で、アンワーの家のお茶は、バングラデシュでは一番おいしかった。紅茶の茶碗も美しかったし、マナーも、ダッカの富裕層の家よりも英国のマナーを引き継いでいた。
村の、最貧層の女性たちを相手に喧嘩していた時、アンワーの言った言葉を思い出した。
「村の女性たちは教育もない。貧しい女性たちだ。むずかしいことは言わずに彼女たちにお金をあげなさい。バングラデシュではこういう言葉がある。”雨が降ってきた。あなたをひとりで帰すわけにはいかない”」
利息をつけて10年かしたお金で、彼女たちのプログラムのリーダーさんの給料を払おうとしたときに喧嘩になったのだ。私は利息は当然、彼女たちのリーダーの給料にあてようと考えていたのだが、彼女たちは「自分のお金だから、給料はお前が払え」と主張して、喧嘩になったのだ。
あの時の喧嘩も、アンワーの言葉も、忘れたことがない。
私は自分が正しいと思っていたけれど、人間の営みは、もっと、もっといろいろな要素が絡み合う。正しい、正しくない、では決して解決しないこともある。おまけに、正しい、は自分の基準に鑑みて正しいだけかもしれない。
それくらいの覚悟がなくて、よくぞ、村のプログラムなんぞに手を出したものだ、と自分の未熟さに苦みを感じる。
つい、3カ月前に、アンワーに電話をしたら、「自分もだいぶ弱ってきた」ともそもそと言っていた。
村に行ったら、アンワーの家でお茶をご馳走になってきます。


# by sakura_mohila | 2023-03-23 11:34 | Comments(0)  

健康

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桜の花がほころび始めた。来日中の、ダッカのアパートメントの大家さん一家のために、よかった、よかったと思っている。しかし彼らは、ほどなく帰国する。何が一番たのしかったのであろうか?
10年以上ダッカに通い続けて、日本人はと言えば、働くだけ働いてさっと帰る。相手の国がまだ観光客を受け入れるようになっていないことも原因であろうが、自国を長く留守にすることもできない、というのが正直なところだろう。
テーラーからメッセンジャーにメッセージが入った。荷物を発送した、という連絡だろうと気楽にかまえ、読むのをあとまわしにしていた。しかしそのメッセージは長い。気になって、メッセージを読んでみて、驚いた。
長い英文の文は、心臓発作に見舞われ、バイパス手術を受けることになった。2週間くらい入院するから、荷物の発送は退院してからになる、という内容であった。こんなにきちんとした英文は書けないはずだから、だれかに書いてもらったのだろう。「自分と家族のために祈ってくれ」とも書いてあった。彼も日本人と同様に休めないのだな。もう手術はおわっているはずだが、どうしているだろうか?
ダッカに行くと、健康オタクの人たちが大勢いる。なぜかというと、生活が不健康だ。皆、太っている。運動不足だし、食事の時間がしんじられないほど遅い。食べて、すぐに寝るのだ。女性たちは、親戚同士が集まって、楽しそうによくしゃべり、よく食べる。他に娯楽がないから、集まって、しゃべり、食べることが楽しいのだろう。話題はいつも「健康」だ。
田舎の人たちは、運動不足ではないから、健やかに太っている程度だ。「健康」も重要な話題ではない。「金」が話題だ。
日本の人たちって、何を話題にして集まるのだろうか?
先日、ある人と、夕食を共にした。相手は若い人だったけれど、ほんとによくしゃべった。あー、楽しかった。
人とおしゃべりをすることって、楽しいものなのだ。それにしても、何をしゃべったのだっけ?また会う約束までしてしまったよ!
テーラーのレジャさん、元気になってね(祈)


# by sakura_mohila | 2023-03-19 17:01 | Comments(0)  

花の季節

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急速に、「百花繚乱」に向かい始めた。宝石を見つけたように、あちこちに咲いた花を見つける。ついこの間までは、寒い、寒いと背中をまるめていたのに・・・
しかし、南の国から来た人たちは違った感覚をもっているようだ。なるほど、南の国にはいつも花が咲いている。冬が終わって小さな花から咲き始める喜びがわからないのかもしれない。
鳥たちも、いつになくよく鳴いている。渡り鳥はそろそろ旅に発つ準備をしているのだろうか。今朝、散歩に出たら、うぐいすがいっぱい鳴いてくれた。姿を探したけれど、鳴き声ばかりが響き渡っている。鴨たちも真冬とは違う動きをしているし、よく鳴くようになった。鶯ほどの美しさには達しないけれど。
サクラモヒラのダッカのアパートメントの大家さん一家の、日本の楽しみ方はユニークでおもしろい。というか、日本などはまずインターネットで調べて・・・というひな形通りの形で動くけれど、自分が主体で動いて行くスタイルだ。
ふと自分のことを考えてみた。人を振り回してまで、何かをしようとするようなモチベイションのないことが、まず寂しい感じがしてしまうのだ。
これって、自分なのか、自分を取り巻く環境がそうなのか、どちらだろう。



# by sakura_mohila | 2023-03-14 15:58 | Comments(0)  

春の到来

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梅の花が散って、その先にたんぽぽの花が開いている。春分が近づいている。さすがにもう雪の女王の背中さえも見えなくなった。
サクラモヒラのダッカのアパートメントの大家さん一家が来日中である。必要な時にはヘルプも厭わないけれど、動き方を見ていると、どうも一家の主が日本に滞在していた時のノスタルジーが一家の起動力になっている。といっても、起動の素を持っているのは、主で、家族はそれに従って動いている。
今時の若者は、インターネットで情報を得て、それに従って動くから、どうも大勢と違うようなきがしていたが、はたと気がついた。主は、世界で最貧の自国を出て、日本で働いたのだ。
お話を伺うと、良いことも悪いこともあったようだが、成功者となった今はそのどれもが懐かしく、自分の今を照らしている思い出なのではなかろうか。
観光地も家族にせがまれて、行っているけれど、行きたいのは、日本での思い出の場所のようだ。
だれにもわかってもらえない大変さを乗り越えてきた今、今は変わってしまった場所であろうと、その場所は観光地には代えがたい価値を持っているのだろう。
何と豊かな、厳しさを人生の宝として持っておられるのだろうか。


# by sakura_mohila | 2023-03-10 16:26 | Comments(0)