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借金

屋上の庭に移したシンビジュームが、クリーム色の花芽を伸ばして、毎年健気に咲いている。なにも手入れなどしないのに。こんな時心がちくちくするのだけれど、つい忘れてしまうのだ。
水にいれておいたせりの根も、金柑の種も芽を出している。寒くても、春がきたのだ。繰り返し、繰り返し言っているけれど、2月の陽光がほんとに好きだ。だれでも好きに違いないけれど、前世は植物ではなかったのではないだろうか、と信じるほどに2月の陽光が大好きだ。南国の人にこの気持ちは通じるのだろうか?

あるバングラデシュ人が借金をしてきた。4年近く前になる。2ヶ月で返ってくるはずが、半分だけ返って、後の半分は4年目を迎える。時々、「ご迷惑をおかけしました。○月末に返します」という連絡がある。やれやれ、とほっとしていると、期限がくるのだが、すると忘れたように連絡が途絶える。彼の兄弟姉妹はエリートで私は全員と知り合いだから、兄弟姉妹に知れたら、やくざ用語を使ってもよければ、「ヤバイ!」と思っているようにみえるのだ。
別の家族と親しくしていたら、そこからも借金の申し込みがあった。返ってはきたけれど、ひんぱんに財布がわりのように借金の申し込みがくるので、ある時、「ノー」と言ったら、人間関係が悪くなり、相手はあいさつさえもしなくなった。金額は8万円。「貸して欲しい」と言われて、ほいほい貸す額ではないし、それは私の好意であって、責務ではないのだぞ!ともに、近所に住む同国人からは借りないのだ。

前者の輩は、2月20日に返してくれるそうだ。期限を1月末から延長したばかりだけれど・・・
子どもさんが病気で、数年前に日本で手術をし、病院がよいために、彼の家族は日本に住みたいのだ。

しかし、なにゆえ、私にこのような役割が回ってくるのだろうか。



# by sakura_mohila | 2020-02-10 16:13 | Comments(0)  

日々

風の冷たい2月の朝だ。こんな時でも、梅や水仙が咲いている。小さないろいろな花も咲き始めている。花は寒い、冷たいということもなく、時が来るときちんと対応する。そんな当たり前のことでも、厳しい(そうでもないか!)寒さの中では、心が動かされる。こんな小さな花が寒さに耐えて咲いているのだから、自分もガマン、ガマン。全身するぞ!とか、単純に反応してしまうのだ。
つい先日、ある歴史のある家を見せていただく機会があった。家というよりも、お庭の木々が時を経過している。竹林の竹は、すっくと伸びて美しく、まるでかぐや姫の家探しをしているようであった。子どもの時に自分の家の庭にあったような木もたくさんあって、ずっとそこに生活していたかのような錯覚を覚えた。もぐらの形跡が足元にいくつもあったり、たぬきも時々顔をだしては庭のものをもぐもぐしているそうだ。尾長も数羽、木の上に遊んで、すべてが楽しい1ページであった。
しかし、この大きな屋敷を護るご苦労は、大変なものだろう、とすばらしさは傍らにおいて、重さを感じることもしきりである。
何人もの血縁の人たちが、この場所に暮らし、去り、新しい人が入る。その人たちが生きた日々を背負っていくことの喜び、誇り、労力。
便利な生活ばかり追い求めていては、けっして見えない人生を生きることになる。
数日前の日経新聞で、小さな間取りのマンションの記事をおもしろく読んだ。生活に必要な家具、道具は壁に縦置き、お台所は小さい(狭いではない)ので、半料理製品でシンプルに済ます。お風呂もシャワーのみ、だということである。そして斜めに寝そべる場所が残るだけ。ミニマムながら、一通りの生活はでき、駅から近い、職場に近い、ということが場所を選ぶ基準になっているようである。

生活で何が楽しいですか?
私はサクラモヒラの生活があり、平行して家庭の仕事や家庭の充実をとても楽しんでいます

# by sakura_mohila | 2020-02-06 11:11 | Comments(0)  

サクラモヒラの村の女性たちの手仕事展

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2月に入り、サクラモヒラがお借りしている本屋さんが日に日に忙しさを増しています。
教科書の販売が始まるのですが、本屋さんのスタッフの顔が緊張しているように見えます。場所をお借りして初めて知ったのですが、本屋さんの仕事は、陰の仕事がほんとに大変だということです。
しかし、それをしるほどに、この場所が好きになります。

残念なことは、2月16日から4月15日まで、教科書販売の場所となるため、Galleryは2ヶ月間のお休みをいただくことになります。2月19日の夜からは、スタッフはダッカの作業に入ります。
村の女性たちの喜びの顔が目に浮かび、Galleryがお休みだからこそ、なにも心配せずにダッカの作業ができるか、と思っているところです。

Galleryの壁は、サクラモヒラの女性たちの手仕事の製品に変わりました。壁に展示の作業をしながら、彼女たちと喜んだことや、これはもう少し、と言ったりしたことや、だめだめ・・・とくさしたことなどを思い出しました。ほんとにたくさんのことを思い出しました。どの思いでも何年も続いてきた今となっては、懐かしく、彼女たちもあきらめずによくついてきてくれた、といとおしさを感じます。
展示をし終えて、これはまさに「サクラモヒラ」だ、と思いました。
なにもかもが、ハーモニーの中にあって、サクラモヒラの女性たちがこの展示の現場にいたら、どんなに喜ぶことだろうか、という気持ちが広がりました。

是非、お出かけください。

# by sakura_mohila | 2020-02-03 11:30 | Comments(0)  

廻る時

木曜日は、「香文木」という手打ちそばレストランの中の文化講座の仕事をしているが、この場所はいつも行きたい場所のひとつである。
奥様は、植物がお好きで、大きなお庭は彼女の好みに、植えられ、草が抜かれ・・・とまさに彼女の性格を具現化したような場所である。農薬を使わないので、虫がいたり、虫食いの葉があったりと、それらのすべても彼女らしい場所となっている。
前は田んぼだが、もう耕筰をやめて、田地となっている。そこに集まる鳥たちの多いこと!すずめやせきれいが群れを成していたので、可愛らしくて見とれていたら、ばさばさと音を立てて、大きな黒い鳥が横を通り過ぎた。大きな塊が飛んでいるようなので、目を走らせたら、畦道に着地したその姿は鷺のようだ。
一瞬のことながら、あんなに大きな飛翔体を目の当たりにすると、不思議な心待ちになってしまうのだ。

ふと読んだ言葉があった。稲盛和夫氏の言葉である。内容は、「人間は人間性を高めるために日々を生きる。人間性を高めるとは、美しく、人に対して優しい心をもつことだ」という内容だった。
自分はそうありたいと願っていたけれど、目の前の事柄の対処は、結構とげとげしていた。とげとげの内容を抱えていたのだけれど、何日も抱えていたとげとげがすーっとひいていくように感じた。
自分の決定は同じである。しかしその決定を伝える自分の態度は、少し人間的になるかもしれない。

しばらくの間、悩んだからこそ、稲盛氏の言葉が入ってきて、少し人間性が高まる方向に動いたかもしれない。


# by sakura_mohila | 2020-01-31 17:39 | Comments(0)  

違う視点

陽射しの中にいると、ほんとに暖かで、春の到来を実感する。けれど空気はいつまでも冷たく、それでもこの季節に似合っている冷たさだから、暖かさと冷たさのハーモニーもこの季節の特徴なのだろうか。
八百屋さんでさえも、色合いが違ってきて、季節の変化をちゃんと感じられる毎日はほんとに楽しく思うのだ。

10月に、それぞれの国から集めた藍のイヴェントを計画していて、現在、いろいろな資料にあたっているのだが、その過程ではっとするような現実に行き当たった。
以前に描いたことだけれど、ラフカディオ・ハーンが、明治の頃に日本に赴任してきた時、日本にある藍の色に感動し、ちょうどそのころに腎臓藍ができて、瞬く間に人造藍の物が溢れる日本に失望している様を書いた。腎臓藍は手軽に染められて安価、それゆえに広がっていったのだ。なんだか人造藍が悪者のニュアンスを内包した言い方だし、自分もそのように思っていた。
しかし、ある方が指摘した。お手軽であることは、多くの人が指示したからそうなったのであって、それには理由がある、と。働く人たちは、お金もないけど時間もない。手間がはぶければ嬉しかったに違いないし、安価であればなおさら家計の負担を減らすことができたであろう。
しかしそのような声は本に書かれることもなく、しかし指示されて生き残る現実ではないか。
このようなことを言っては失礼ながら、100円ショップやファスト・ファッションのビジネスもなんだかんだと言われながらも、大衆の物言わぬ支持は強力ではないか。
というわけで、物事を見る視点が少し豊かになった。

# by sakura_mohila | 2020-01-29 17:48 | Comments(0)  

1月が過ぎようとしている。ほかの事に気を取られて、慌しく過ごした1月だったので、花を見に行った。やつで、水仙、梅・・・探しても、探しても、今の季節花はまだ限定的だ。だが、芽がいっぱい伸びようとしていて、伸びようとしているものは力をくれるのだ。屋上のガーデンに運んだシンビジウムが薄いグリーンの花芽を伸ばしていた。
このシンビジウムは、30年くらい前にお隣から頂戴したものだ。冬に室内に取り込み損ねているうちに、いつのまにか耐寒性に変わり、冬に花をつけるようになった。
お隣のお庭は広く、小さな敷地の我が家は幸運な借景ができていた。自分の仕事部屋はそのお庭に窓が面していて、机で仕事をしていたのだが、時々、「お茶ですよ!」という声がかかり、お隣の庭でお茶をした。お汁粉だったり、お煎餅だったり・・・そのような人たちも思い出の人たちとなり、自分の生活も変わってしまった。
ダッカの先生はどうしているだろう。奇想外の先生で、ダッカから電話やインターネットで、「ディナーに来い」とお誘いくださった。
数日前、ディナーに招待があり、大宮だったので、気楽に行ってきたけれど、楽しい時間だった。初めての人たちと、いろいろな話をして、とてもたのしかった。
器も、きれいだった。漆の椀など、おろしたてのようにぴかぴかしている。庭も手入れが行き届いて、この場所を維持するために、どんなにエネルギーを費やしていらっしゃるのだろうか、と思える場所はほんとにまた行きたくなる。

# by sakura_mohila | 2020-01-27 11:52 | Comments(0)  

ビザの申請

やっと冬らしい寒さがきている。なんだかほっとするね。
2月、Galleryが4月15日までお休みの時、スタッフ全員で初めてダッカのプロジェクトにいくのだが、その際、ビザの申請が必要になる。
なんと先週の月曜日にはじめたのだが、うまくコンピューターのページをすすめることができない。4ページ目まではスムーズに入力できるのに、その先に進むことができない。何度も、何度も同じことを繰り返してその日はあきらめることにした。次の日も、次の日も同じ場所まできて立ち往生。思い余って、大使館に電話をすることにした。以前も同じように、申請が送れないことがあり電話したら、「システムが壊れていてできないんです」その時は大使館側の問題ということを知らずに毎日、毎日1週間同じ作業を続けたのだ。それいらい、よもや、という可能性を捨てたことがない。
今回は自分のコンピューターに問題があるのかと思い、3台のコンピューターを使ってやってみたが、うまくいかず、大元の問題だと結論したのだ。
電話は簡単に通じて、ビザ申請の怒りがやわらいだ。音声案内で、ベンガル語は1を、英語は2を、日本語は3をおしてください、と言っている。気分をよくして3をおしたら、電話はぷつりと切れた。もう一度、もう一度と結局は3回試したが、言語を選ぶときれてしまうのだ。こんどは新たな怒りではなく、思わず声をだして笑ってしまったよ!いかにもバングラデシュではないか。

しかし、翌日、申請は当たり前に動いて、難なく完了しました。

初めてかの国を訪れるスタッフは、にこにこしている。にこにこしていた。にこにこし続けるでしょう(かな?)

# by sakura_mohila | 2020-01-25 17:16 | Comments(0)  

枇杷の花

枇杷の花が咲いている。オレンジ色の華やかな実に比して地味な花だ。
枇杷の種は律儀に発芽する。盆栽にしようと種を蒔いたら、ちゃんと発芽して、その挙句大きく、大きく鉢の中で育って、はてどうしたものだろう。しかしその木の枝の姿は美しく、ついつい、枇杷を食べるたびに種を埋め込んでしまうのだ。
花の色を見ていると、何年か前にある方が枇杷で木綿を染めて下さった、その色を思い出した。淡いピンクで、それは花の色だった。
まもなく実が実り、その木のてっぺんにとまるからすは、ほんとに絵になる様を作る。
子どもの頃、庭に古い枇杷の木があった。その木が大好きだったけれど、父が「枇杷は根を張るから、広い場所がいる」と言っていた。だからお寺さんによくあるのだろうか。しかし寺と枇杷はよく似合うコンビではないか。

枇杷は中国が原産らしい。そのようなことを知るたびに中国の大きさを思う。良くも悪くも、なんでもある国だ。そして、人間の歴史のどこかで、それが、海を越え、山を越えて、伝わるというのも、驚嘆に値する。

自分は28年前に、諮らずも、バングラデシュの小さな村に行き、そこをスタートとして、布に関するあれこれを見聞きするようになったのだけれど、そのような長い日々の連続は興味をそそられる。人間が場所を越えて関わり、時を越えてその関わりが展開する、というのも、考えれば、考えるほどに不思議でたまらない。
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# by sakura_mohila | 2020-01-24 11:53 | Comments(0)  

草木染

陽光が春を歌い始めました。家の中に差し込む光を見ると、この光のなかにしばらく佇んでいたい、と夢見るけれど、自分の仕事は、出勤時間に追われ、帰宅は夜だ。夜も何かの仕事に常に追われて、普通の現代日本人の生活をしている。健康に動くことができていることを感謝して、それ以上の望みを持つことはやめよう。
Margaretge Forsterというイギリスの作家が、ご自分の母、祖母の生活スタイルを振り返って書いた、歴史小説がある。その中で、あまり裕とは言えない状況に育ったお母さんがほぼ毎日日記に書いている。「安定した生活があるのだから、これ以上のことを望むのはやめて、感謝していきよう」そのお母さんは真面目に生きて、認知症になって、生涯を終えた。一方、お父さんは仕事を退いたあとも、したいように、不真面目に生きて、(と言っても、几帳面にルーティーンをこなさないというだけのことだが)最後まで人生を楽しんだ。
人にはそれぞれに与えられた役目があるのだろう。
自分にはどのような人生が与えられているのだろう?そんなこと、幕を引いてみないとわからないから、とにかく毎日、せっせと日々をいきることにしようか。
つい、つい、こんなつまらないことを考えてしまうのだけれど、実は涙がでるくらいに感動したことがある。木曜日に働きにでている、香文木という手打ちうどん/そばのレストランの奥様は、庭の植物を中心に染物の先生をしている。
お正月に着物を着る女性たちから注文があったそうだ。「半襟を地味に染めて」彼女は彼女たちの要望に応えるべく、お正月の二日から作業にかかった。最近、染物を始めたダンサーの息子さんをアシスタントにして・・・
何枚かの染め上がった半襟を見せていただいたが、言葉がでない。草木染というのは、これまでに美しいのだ。あたかも、春の暖かな光が自然の中にある花を包み込んでいるかのようであった。
もう一度見たい、と願望するけれど、1週間が過ぎた今日あたりは、すでに注文主に納品したかもしれない。

このようにきれいな物を日々の生活の中で見ていると、おしゃれなモールで売っている製品がどれも魅力をもたない。お金も持たないので、限りある消費生活なのだが、それを忘れても、買いたい、という気持ちになれないのだ。
マーガレット・フォースターのお母さんのように、欲しがらないために「自分にはこれもある、あれもある」とあるものを数えているのではなく、自分の着ているもののおぞましさにあれも買ったらよい、これも買ったらよい、と思うけれど、欲しくないよ!

# by sakura_mohila | 2020-01-23 11:20 | Comments(0)  

時々辛いこと

めったにないことだけれど、村の女性の中に、歩調の合わない女性がいた。彼女は初期のころから、ミシンの使い方を村の女性たちに教え、丁寧な縫い物を仕方を教えてくれた。彼女には。そのようなプライドがあったのだ。
何年かが経過した。彼女はサクラモヒラのリーダーさんとして、ダッカのオフィスに来るようになった。
初めは、皆、サクラモヒラ製品の初級者で、皆、真面目におそわるままに制作して、楽しそうに充実した何年かを過ごし、稼ぎ、ほんとに満ち足りた顔をしていた。
何年かが過ぎた。村の女性たちはそれぞれに能力を発揮し始め、すばらしい製品を作るようになった。彼女たちの創造性は鼻が開いたように、よい製品となった。
そこで、能力が分かれ始めた。歩調の合わないその女性は、創造力が乏しかった。彼女に割り当てられる仕事は針目がそろっていることを要求される仕事になり、他の女性たちと収入の差が出始めた。
実は、彼女が一番経済的に困窮していたのだ。しかし、彼女があせればあせるほど、高いお金が払えない仕事になった。
彼女はお金の前借を頼んできた。それは、断わった。だれにも断わるのだ。
半年間、こちらも悩んだが、「もうダッカに来なくていいです」ということになった。
肩の重荷がすーっと軽くなるのがわかった。しかし彼女の経済的困窮度はますばかり。彼女は息子さんを外国に出稼ぎにだすために、プロの金貸しからお金をかりたのだが、その話はだめになり、結局息子たちは地元の収入の低い仕事をして、皆で、借金の利子ばかりを返すことになった。返しても、返しても、借金が減らないと彼女は言っていた。
皮肉なことに、彼女をお断りしたことで、村の他の女性たちが危機感と緊張感を持ち、製品の質は、ぐんとよくなった。彼女は、仮に戻りたくても、もう、居場所を見つけることができないのだ。

それから何年かが過ぎて、彼女は家を売り払い、借金をきれいにして、故郷や親戚を頼ったが、結局うまく行かずに、今は、もとの自分の家に家賃を払ってすんでいるそうだ。サクラモヒラの仕事も村の中でこなしている。お買い物の袋を作ってくれているけれど、丁寧できれいな仕事だ。
このお買い物バッグは、初めは、村の女性にミシンを練習するための仕事であった。皆、ミシンができるようになり、今は最年長の彼女の占有仕事となっている。
その話を聞いて、なるべく、たくさんの注文をだしている現在である。

しかし、似たような話は、結構でてくるものだ。迎え入れることは、どちらもにこにこですむが、その反対は、どちらにとっても、苦しいことだと思う。
でも、そうしなければいけないことだって、ある。


# by sakura_mohila | 2020-01-17 17:27 | Comments(0)